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王から長嶋にバトンをつないで……。藤田元司監督の原点/プロ野球20世紀・不屈の物語【1989~92年&57~64年】

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週刊ベースボールONLINE

歴史は勝者のものだという。それはプロ野球も同様かもしれない。ただ我々は、そこに敗者がいて、その敗者たちの姿もまた、雄々しかったことを知っている。 西本聖が語る移籍「出されることに納得がいかなかった。でも、藤田さんの言葉でトレードを受け入れた」

王の後を受けて再登板

 巨人の、いやプロ野球きってのスターだった長嶋茂雄の後を受けて巨人の監督に就任し、長嶋と“ON砲”を形成して通算868本塁打を残した王貞治にバトンを託して退任した藤田元司監督が、ふたたび監督として“再登板”したのが1989年のことだった。長嶋に続いて王も事実上の解任で、王にとっては巨人でのラストシーンとなってしまうのだが、ふたたびファンが騒然となっていく中で、やはり藤田は手腕を発揮してく。第1期のような王助監督、牧野茂ヘッドコーチの“トロイカ体制”もなく、“先発三本柱”の江川卓、定岡正二は引退、西本聖は中日へ移籍。ファンの反発は前回ほどではなかったが、状況は前回より厳しいものにも見えた。  ただ、救いとなったのが新戦力。投手の先発完投を重視する方針を強く打ち出したことで、王監督の継投策を支えてきたリリーバーの鹿取義隆らは働き場所を失ってしまったが、特に第1期にサイドスローへ転向させた斎藤雅樹は真価を発揮、4年目を迎えた桑田真澄の成長も著しく、槙原寛己とともに“新・先発三本柱”を形成する。槙原は後半戦こそ故障で離脱したが、前半戦は絶好調で12勝。斎藤は11連続完投勝利のプロ野球新記録を含む20勝、防御率1.62で最多勝、最優秀防御率の投手2冠に。桑田も自己最多の17勝で続いた。  打線では王監督1年目に入団したクロマティが打率4割を超えたままシーズン規定打席に到達する別格の安定感。最終的には打率.378にとどまったものの、首位打者、MVPに。巨人は広島の追い上げをかわしてリーグ優勝。初の顔合わせとなった近鉄との日本シリーズでは3連敗から逆襲を仕掛けて4連勝で日本一に。またしても藤田監督は就任1年目にして巨人を日本一へと導いた。  同じ投手の出身で、闘志あふれる若き指揮官として鳴らした中日の星野仙一監督は、「藤田さんは怒らせることを全然しない。だから逆にやりにくい」と語っていた。闘将の闘志にエネルギーを与えない、その独特の雰囲気は、まさに“球界の紳士”だった。選手のミスで敗れても、その名を取材で口にすることはない。一方、勝てば次々に選手の名前を挙げて、コーチ陣をたたえた。翌90年にリーグ連覇も、2年連続で優勝を逃した92年オフに退任。かつてバトンを受けた長嶋に、あらためてバトンを返した形となった。

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