社員の慢心を戒め続けたカリスマ会長退任、スズキは「電動化」時代に生き残れるか
「一度赤字になると坂をころがり落ちる」
スズキの鈴木修会長が6月に退任する。スズキを浜松市の軽自動車メーカーから、世界的な小型車メーカーに育てた。米ゼネラル・モーターズ(GM)や独フォルクスワーゲン(VW)との提携・解消、インドへの進出と、軽メーカーにとどまらない存在感を示す企業に育て上げた。その先見性と流れを読む力は、自動車業界のトップでも抜きんでていた。一方で、大企業になってからも「スズキは中小企業」と言い続けるなど、堅実経営を貫くカリスマ経営者だった。自動車の大変革期を迎え、スズキは新たな経営陣で新たな潮流をつかむ。 すごい業績をたたき出したスズキだが、トヨタとの提携ではマツダに先を越される 「卒寿も白寿も関係ない。年齢を数えるとしわが増えるだけ」。88歳の米寿を迎えた2018年1月、鈴木修会長は余裕で笑い飛ばした。20年1月30日の90歳の誕生日は、浜松市内で地元の経済人ら90人が盛大に祝った。鈴木会長がその一人一人に送ったお礼の手紙には「これまでもこれからも、会社のために昼夜を問わず一生懸命働き、休日は趣味のゴルフに打ち込みたい」と書かれていた。 20年はスズキの創立100周年の年でもあった。誕生日会の後、新型コロナウイルスの感染が急拡大し、経営環境は厳しさを増したが、「危機を乗り切り、これをバネとして過去最高の業績を打ち立てるのが目標」と意欲を燃やしていた。 鈴木会長は創業家の娘婿として、48歳で社長に就任。国内でほとんど最下位だったスズキを一代で世界有数の小型車メーカーへと育て上げた。80年代初頭、「誰も出ていない国へ行けば一番になれる」とインド進出を決断。当時、まだ牛が道路を闊歩(かっぽ)していた10億人市場を切り拓き、今では収益の大黒柱となっている。 経営者として人生を全うする情熱の火は決して消えない。一方で、企業の存続を考えた時、そのカリスマ性ゆえに後継者問題には悩み続けていた。「交代しようと思うといろいろ起こる」。鈴木会長の苦悩を初めて聞いたのは07年、後継者として通商産業省(現経済産業省)から迎え入れた小野浩孝氏(当時専務)が急逝した時だ。小野氏は鈴木会長の娘婿でもあり、リーダーとしての資質にあふれていた。 鈴木会長はその先見性と卓越した外交力で格上のGMやドイツのVWとも対等に提携交渉した。約20年にわたり提携関係を続けたGMと提携解消し、後ろ盾を失った08年には「火中の栗は自分で拾う」と、社長兼任を発表。15年に長男の鈴木俊宏社長にバトンタッチした。 俊宏社長が就任した15年に国際仲裁裁判でもめていたVWとの提携解消が実現し、「強い後ろ盾を得て将来の道筋をつける」のが、最後の大仕事となった。環境技術や自動運転など次世代自動車の開発競争が激化する中、鈴木会長が意を決して向かった先は創業家同士の親交があるトヨタ自動車。その業務提携、資本提携へとこぎ着け、ほっと安堵(あんど)したに違いない。