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震災直後の大切な「最後の写真」 原発避難先で患者を案じ続ける看護師、新聞購読を始めた切実な理由

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連載『帰れない村』 東日本大震災から間もなく10年。福島県には住民がまだ1人も帰れない「村」がある。原発から20~30キロ離れた「旧津島村」(浪江町)。原発事故で散り散りになった住民たちの10年を訪ねる。(朝日新聞南相馬支局・三浦英之) 【写真特集】原発が危機的状況に陥いる中、沿岸部から多くの人が押し寄せた診療所 DASH村地区の今も

震災直後、最後の写真

「これ、貴重な写真だと思いません?」 福島市で避難生活を続ける看護師今野千代さん(68)が、一葉の写真を見せてくれた。時計の針は午後4時少し前。医師を囲んで、看護師が笑っている。 「震災直後の3月11日の写真です。研修医の勤務の最終日で、お昼にお別れ会をやって、直後に大きな揺れに襲われ、さよならの前に写真をパシャッと。診療所で写した最後の写真になりました」

沿岸部から押し寄せた多くの人

福島第一原発から北西に約30キロ。37年間勤務した旧津島村で唯一の医療機関「津島診療所」に、沿岸部から多くの人が押し寄せてきたのは2011年3月12日の朝だった。原発が危機的状況に陥り、政府が早朝、原発の半径10キロ圏内に避難指示を出していた。 人口約1400人の旧津島村に、避難してきた町民は約8千人。何も持たずに避難してきた町民たちは持病の薬を求め、診療所の前に長い列を作った。医師の処方に応じて薬を手渡す。普段なら40人程度の患者数が、この日だけで330人を超えた。 3日後の3月15日には「診療所を閉鎖して津島地区からも避難するように」との指示を受けた。約13キロ離れた二本松市の東和地区に避難したところ、寝たきりの高齢者らが約20人、公共施設の床に雑魚寝させられていた。「このままでは死んでしまう」と施設の片隅に臨時の診療所を開設し、医師と一緒に治療に当たった。「もう何もかもが夢中でした……」

村の患者を案じる日々

その後、二本松市の運動場に移設された診察所に1年半勤め、定年退職した。今は体を安めながら、県内外に散らばって暮らしている、かつて受け持った旧津島村の患者を案じる。 携帯電話を持っていない高齢者が多く、連絡を取り合えない。持病の薬は飲んでいるだろうか。体調は悪化していないだろうか。 震災後、新聞購読を始めた。おくやみ欄の名前をチェックするためだ。 「津島では誰かが亡くなればすぐに気づけた。原発事故以降、そんな『当たり前』のことでさえ、わからなくなってしまった」      ◇ 東京電力福島第一原発の事故後、全域が帰還困難区域になった福島県浪江町の「旧津島村」(現・津島地区)。原発事故で散り散りになった住民たちを南相馬支局の三浦英之記者が訪ね歩くルポ「帰れない村 福島・旧津島村の10年」。毎週水曜日の配信予定です。 〈三浦英之〉2000年、朝日新聞に入社。南三陸駐在、アフリカ特派員などを経て、現在、南相馬支局員。『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞、『日報隠蔽 南スーダンで自衛隊は何を見たのか』(布施祐仁氏との共著)で第18回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、『牙 アフリカゾウの「密猟組織」を追って』で第25回小学館ノンフィクション大賞を受賞。

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