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巨人、広島、阪神、南海…印象深い衝撃の監督交代劇は?

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週刊ベースボールONLINE

試合の全権を握る監督の“辞め方”にはいろいろある。自らの意思で辞任、あるいは完全なるクビ……。シビアに結果が出る分、円満辞任は数えるほどしかない。今年もまた、オリックス・西村徳文監督が、シーズン途中でユニフォームを脱ぐことになった。ここでは過去の印象深い「監督交代」を振り返る。

ONからのバトンを受けた巨人・藤田元司という名将

 1980年、球界に衝撃が起こった。10月21日、緊急会見が行われ、巨人・長嶋茂雄監督が退任。3年連続V逸も若手を起用し3位に入ったシーズンであり、巨人ファンから猛烈な反発が起こった。後任は川上哲治元監督の推薦もあった藤田元司監督だが、騒動の後とあって、当初は長嶋ファンからの嫌がらせの電話や手紙が殺到したという。それでも初年度の81年から優勝、日本一に導き、翌年2位も83年は優勝で予定どおり、王貞治助監督にスイッチした。藤田監督はその後、88年限りで王監督が退任した際も後を受け、初年度から優勝、日本一に輝き、翌90年もリーグ優勝を飾った。そして92年限りで2期目の長嶋監督にバトンを渡し、勇退。先発投手の育成手腕にも定評があった名将だ。

監督交代があってのカープ初優勝

 1975年、広島の初優勝イヤーは波乱のスタートとなった。4月27日、阪神ダブルヘッダー第1試合(甲子園)で、この年から就任したルーツ新監督が審判のジャッジに猛抗議。退場を宣告されたが、本塁ベース上で動かなくなった。困った審判がネット裏にいた重松球団代表に説得を頼み、試合を再開したが、ルーツは「2試合目の指揮は執らない」と、そのままホテルに帰ってしまった。募っていた日本の審判に対する不信感と「グラウンドでのチームの全権は監督」の信念の下、重松代表の説得に激怒したからでもあった。この時点で6勝8敗1分けの5位。野崎泰一コーチが4試合指揮を執った後、5月3日、39歳の古葉竹識コーチの監督昇格が発表されたが、まさか優勝するとは誰も思わなかった。

野球より愛を取った? 野村克也2度の解任

 1977年9月26日、一部のスポーツ新聞が「野村監督解任」と書き立てた。南海の野村克也監督である。理由は「私生活の問題」だった。まだ閉幕前だったが、この年、前期は2位、後期は3位とチーム成績はまずまず。だが、当時、夫人と別居はしていたが、まだ籍があった状態で野村監督が交際していた、のちの沙知代夫人がグラウンドまで顔を出し、作戦面に口を出すようになったと選手たちが不満の声を上げた。これが川勝傳オーナーの耳にも届き、野村監督に「野球を取るか、女を取るか」と迫り、野村監督は女を取り、結果的には解任となった。退任会見では「鶴岡元老(一人元監督)に吹っ飛ばされた」とも発言している。2001年、阪神監督の辞任も沙知代夫人の脱税事件の責任を取った形だった。

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