岡ちゃんオーナーの今治が悲願のJ3昇格「社員を食わすため毎月5000万円以上が必要だった」
特に残り2試合を1分け1敗と勝ち切れず、5位に終わった昨シーズンは岡田氏にも少なからずショックを与えた。監督にフランスワールドカップでコーチとして自身を支えた小野剛氏、橋本やDF駒野友一らのベテラン勢を加えた今シーズンを「ある意味で節目ととらえていた」と胸中を明かす。 「今年はどうしても上がらないと、昨年は許していただいた、支援していただいている方々がもう許してもらえないと思っていたので」 1976年に大西サッカークラブとして創設された歴史をもつ今治を運営する、株式会社今治.夢スポーツの株式の51%を岡田氏が取得。代表取締役に就任したのは2014年11月だった。日本サッカー界に対して長く抱いてきた疑問に対する答えを求めて指導者から経営者へと立ち位置を変えた。 「サッカーの型を作って、16歳までに教え込もうと思って始めた。まず型を教えてから、16歳、高校生ぐらいからチーム戦術を落とし込んでいく。そういうトライがしたかった。そうすれば主体的で、自分で判断できる選手を育成できるんじゃないか、と」 既存のJクラブではなく小さなクラブならば挑戦できるのでは、と考えていたところへ、大学時代の先輩がオーナーを務めていた今治からオファーが届いた。転身を決断したときは「サッカーのことしか考えていなかった」と明かす岡田氏を、初めて見た今治の町の様子が変えた。 「実際に今治に行ったら、土地はあっても商店街に誰もいないというか。このままならチームが強くなっても、応援してくれる人がいないというか。少子高齢化の限界都市のようになっていたので、そこを何とか街と一緒に元気になる方法がないだろうか、と思って地域や地方の創生もやろう、と」
今治の地で起業を決意したときに、プライベートで親交のあったライフネット生命保険株式会社の創業者、出口治明氏からかけられた言葉に深い感銘を受け、心のなかで目標を定めた。 「出口さんには『統計上、スタートアップした9割が5年以内に潰れる。岡田さんは1割に残るためのチャレンジを始めた』と言われたんですね。同時に『リスクあるチャレンジを誰もしなくなったら、社会は変わらない』とも言われて、僕は5年をひとつの目標にすえてやってきました」 今シーズンが5年目にあたる。前述したように「今年はどうしても――」と位置づけたのは、経営者としての覚悟の表れでもあった。トライ&エラーを含めたすべての積み重ねがいま現在に生きてくる、と考えたときに昨シーズンに味わわされた苦い経験もポジティブにとらえることができた。 「あのままJ3へ上がっていたら『また岡田が何とかするだろう』となっていたはずが、上がれなかったおかげで、今治の人たちが自分のこととして『来年は上がるぞ』となった」 運営会社の代表番号に「スポンサーをやらせてください」と、電話が入るようになった。なかには「スポンサー料を増額するからもっといい選手を取れ」とか、あるいは「1000万円を寄付する」という声もあった。いままでにない状況に、岡田氏は「今治が動き出した」と感じずにはいられなかった。 「今治が動き出すために必要な時間だった、と。5年かかりましたけど、我々にとってすべて必要なことが起こり、我々に貴重な力をつけさせてくれたと思っています」 日本代表監督を含めて、トップカテゴリーのチームの監督を務めるために必要な公認S級コーチライセンスを更新せず、昨年3月末に日本サッカー協会へ退会を申し出ている。指導者へはもう戻らない、という決意の表れであり、身も心も経営者となったいま現在の心構えをこう語る。 「プロの監督は背中に乗っている、重い鉛の塊のようなプレッシャーに『この野郎』と思って耐えていればいいし、嫌になったら『もうやめた』と言える。でも、経営者は違う。僕のもとへ集まってくれた60人近い社員へ給料を払い続けるために、毎月5000万円以上のキャッシュフローが必要になる。 社員やその家族を食わせなきゃいけないという、真綿でじわじわと首を絞められるようなプレッシャーは監督のときとはまったく違う。もうやめた、なんて絶対に言えない。自分にとっては新たなチャレンジをさせていただいてきたなかで、成長させてもらったと感謝しています」 言葉の端々から、63歳にして充実した日々を送っている様子が伝わってくる。そして岡田氏が言うように、J3昇格はクラブの、そして今治という地域にとって通過点となる。たとえば収容人員約5000人の夢スタの現状では、どんなにいい成績を残してもJ2へは昇格できない。 「夢を見せるというよりは、僕自身がホラに近いような自分の夢を語っていただけなんですけど。それでもこのスタジアムができて、次は1万人のスタジアムがおそらくできます。みなさんが夢に共感して力を貸してくれて、指導者やスタッフ、選手たちも集まってきてくれた。僕がどんどん新しいことをやるので、社員もその尻拭いで飛び回って大変だったと思う。わがままのような夢でいろいろな人を振り回してきたけど、僕自身はもっと、もっと壮大な夢を語っているんですよね」 2025年までにJ1で常時優勝を争い、5人以上の日本代表選手を輩出する中長期ビジョンもクラブは描く。絵空事に映るかもしれないが、走り出さないことには何も始まらない。もともとの目標だった、岡田メソッドと命名されたサッカーの型を浸透させ、運営会社として30億円規模の収入も目指す。追い求める夢が大きい分だけ、経営者となった岡田氏の表情には充実感がみなぎっていく。 (文責・藤江直人/スポーツライター)