「あなたに一番似合わない色は黒です」平凡な専業主婦が44歳で自分を突き動かす信念に出会うまで
ずっと家で一人きり。時間はあるのにお金がない新婚生活
夫の仕事の都合で、実家から離れた北九州市に引っ越した峰子さん。医師の妻として華々しい生活の始まり…とはなりませんでした。峰子さんの夫は、研修医で無給。休日は生活費を稼ぎに泊まりのバイトに行くほど、経済的な余裕がありませんでした。2部屋の小さなアパートに住んでいたといいます。 「1年目は家事を覚えなきゃと必死だったんです。とくに料理は『ご飯の研ぎ方は?』『出汁を取るってどんな食材で?』ってわからないことだらけ。毎日母に電話で相談していたら、夫の1ヶ月分の給料が電話代で飛んでいました」 家事に慣れてきた2年目からは、馴染みのない土地での息苦しさを感じ始めました。夫は朝早くに仕事へ行って深夜に帰ってきて、休日はアルバイトでいません。ほぼ家にいなかったのです。 「近所に親しい友人はいません。久々に夫が帰ってきたら、水を得た魚のように話しかけるでしょう? するとある時、『病院で散々話して疲れているから静かにしてくれ』と言われてしまったんです」 「あなたのために知らない土地までついてきたのに、あなたとも話せないならどうすればいいのよ」と、怒りとともに喉元まで込み上げてきた言葉を、峰子さんはグッと飲み込んだそう。 「それ以降、夫にあまり話しかけないようにしました。訴えたところで困らせるだけ、自分の機嫌は自分で取るしかないと思ったからです。誰かに強く反発されたり勧められたら、我を通そうと思わない。『そういうものなんだ』って諦めてしまうんです」 自分の機嫌を取るといっても、できることは昔から大好きだったファッション雑誌と、図書館で借りた本を読むくらい。洋服も大好きでしたが、当時はオーダー服が主流。頻繁にオーダーするお金もなく、苦手な裁縫に時間をかけて取り組み、洋服を手作りしたことも。それでも時間を持て余し、孤独をやり過ごすような日々が続きました。
出産直後から10人での共同生活が始まる
生まれたばかりの娘の健康と長寿を願ってお宮参りに。当時は記憶が飛ぶくらい忙しく、メイクをする時間すらなかったそうです。大きな変化が訪れたのは、27歳の時でした。長女が誕生したのです。「これから子育てで忙しくなるはず」と喜んでいた矢先、思わぬ出来事が起こります。 「入院5日目に義父が急病で亡くなったんです。義父は開業医でしたから、夫が後を継がないと大変な状況。私の知らない間に夫の実家へ引っ越すことが決まっていました。退院後に夫の実家に着いたら、義母の母、義母、義妹2人、義妹の夫に加えて、隣に住んでいた義母の弟夫婦も一緒に生活していて、全く状況が飲み込めなくて」 初日に義母から「あなたに家のことは全部任せます。あなたの好きなやり方でやってね」と言われた峰子さん。義母なりの気遣いだったのでしょう。ただ峰子さんにとって、はじめての育児と慣れない大人数での生活はプレッシャーでした。 料理、掃除、洗濯、さらに当時は布おむつを洗うのも一仕事。鏡を見て身なりを整える余裕もなく、訪ねてきた人に家政婦に間違われることも。夜は3時間置きに子どもが起きます。母乳が出ずミルクの準備時間を差し引くと、まとまって寝られるのは長くて2時間でした。 「しんどい、大変っていう感情はありませんでした。とにかく目の前のことをこなすしかない。それが私の役割なんだって。思考は停止していて、体だけが勝手に動いている感覚でした。周りからは『いつも走っているね』と言われて、『寝たい』『座りたい』といつも思っていたことだけは覚えています」