八尾市の母子餓死事件、SOSを見過ごした生活保護関係者の「信じ難い弁明」
● 生活保護受給中の餓死・孤立死は なぜ起こったのか 2020年2月22日、大阪府八尾市で、生活保護を利用していた57歳の母親と24歳の長男が遺体で発見された。遺体を発見したのは、母親の介護支援のケアマネジャーであった。母親は脳血管障害の既往があり、片脚が不自由だった。母親は死後1カ月、長男は死後10日ほどが経過していた。死因は、母親は処方薬の大量服薬、長男は餓死と判断された。 【この記事の画像を見る】 母子は決して孤立していたわけではなく、血縁者や友人などとのつながりを維持しており、数々の小さな支援を受けていたようである。なんといっても、生活保護を利用中だったのだから、ケースワーカーによる人的支援があったはずである。しかし結果として、生活保護制度は母子の生命を守れなかった。 生活保護の対象となっていれば、内容や質はともかく、生命と「最低限度の生活」は守られるはずだ。それなのに、母子は生活保護の受給中に孤立死しており、しかも長男の死因は餓死なのである。しかも遺体が発見される半年前から、「公共料金の滞納」「保護費を受け取りに来ない」「電話が不通」「水道の停水」といった“死亡フラグ“が、数え切れないほど立っていた。 むろん、ケースワーカーが全力を尽くしていても、時には「自死に至ることを止められなかった」といった事態は有り得る。八尾市の母子餓死事件にも、どこかに「致し方なかった」と言える要素があることを願いたい。しかし、そういった人間的な期待は完璧に裏切られた。
● 1人分の保護費で暮らした母子が 住居を喪失するまで 事件を受けて、法律家・学識経験者・支援者などが結成した「八尾市母子餓死事件調査団」の調査によると、母子は2007年から断続的に生活保護を受給していた。当初は父親もいたが、2018年に死亡した。 1995年生まれの長男は、生活保護のもとで中学と高校を卒業し、高校卒業後は就職した。しかし就労は長続きせず、多様な仕事を転々としていた。 長男が就労するたびに、八尾市は長男を生活保護の対象から外していた。 世帯の誰かが就労したからといって、生活保護の対象から外す必要はない。もちろん、就労収入は収入申告する必要がある。収入の一部は収入認定されるため、自分のものとならない。しかし、正規雇用とも「社保完」とも限らない就労をしている場合、健康保険料や年金保険料などの負担、病気や負傷の際の医療費自己負担などを考慮すると、生活保護から脱却することで「生活保護以下」の生活となる可能性が高い。 厚労省も、就労による生活保護からの脱却を判断するにあたっては、生活保護がなくても問題なく暮らしていけるかどうかを慎重に見極めることを求めている。しかし八尾市は、その経過観察を行わなかったようだ。 長男は、回転寿司店・電気工事・金属塗装・事務・パチンコ店・木工所・コンビニなどで就労していたが、いずれも長続きしなかった。仕事ぶりは「真面目だった」と報道されているのだが、出勤は不安定であったらしい。一般的な意味で「働ける」と言える状態ではなかった可能性もある。 長男は仕事と収入を失うたびに、家族と同様に生活保護の対象に戻った。そのうち、長男は生活保護の対象から外れた。長男が住民票を祖母宅に移し、住民票上は両親の世帯にいないことになったからである。 長男の友人によれば、八尾市の担当者が「住民票を祖母宅に移せば、給料を全部自分で使える」と持ちかけたということだ。しかし、長男は仕事を失うたびに「所持金21円」「所持金115円」といった状況に追い詰められていた。