【文化財の宿に泊まる】自然との協調美、息をのむ天井画に魅せられる箱根の名旅館
箱根湯本温泉 萬翠楼 福住(神奈川県)
奈良時代の開湯以来、湯治、観光の地として栄えた箱根。明治時代に入ると、東京へ移り住んだ新政府の要人たちの滞在も目立つようになった。 その箱根の玄関口・箱根湯本の一角に創業1625(寛永2)年の老舗旅館「萬翠楼(ばんすいろう) 福住」は立つ。客室を備えた3棟のうち、萬翠楼と金泉楼は明治初期に建てられた3階建ての木骨(もっこつ)石造建築で、明治棟とも呼ばれる。ともに数寄屋風の日本建築と西洋の技法と意匠を融合した擬洋風の建物で、施主は二宮尊徳門下から養子に入った10代目主人(福住正兄〈まさえ〉)。旧新橋停車場をモチーフに、三宅安七という棟梁が仕事を請け負ったとされる。両棟は1997年に国の登録有形文化財に、2002年には現役旅館としては初めて国の重要文化財にも指定された。
「萬翠楼という名前は、木戸様からいただきました。箱根は緑が美しい土地ということで、そう名付けられたのだと思います」と解説するのは、16代目主人の治彦さん。木戸様とは維新の三傑の一人、木戸孝允を指す。このほかにも「三条公(三条実美)」「伊藤様(伊藤博文)」「福沢様(福沢諭吉)」など歴史上の人物の名が、次々と語られた。この宿がいかに要人たちに愛されてきたかを理解した。 木戸が「萬翠楼」の名を贈り、10代目主人が完成した1棟にその名を冠した。その後、「萬翠楼」は宿の総称として使われていく。 16代目主人は、明治棟と呼ばれる2棟の違いについて、「先に完成した金泉楼には、和洋折衷の華やかな意匠が取り入れられていますが、後にできた萬翠楼は自然の造形を生かした意匠が特徴的。両棟には若さと円熟という印象の違いがあります」と説明する。
貴重な材をふんだんに使用
二度のもらい火があり、10代目主人が明治の要人らを迎えるために三度目の正直で建て直したのが、萬翠楼と金泉楼なのだという。萬翠楼1階の15号室は、10畳+8畳+6畳+6畳+広縁という間取りだが、10畳の大広間は、松林桂月ら絵師24人による48枚の天井画で彩られている。室内を見回せば、欄間は神代杉(長い年月にわたり、火山灰などに埋もれていたとされる貴重なスギ材)で統一され、次の間の天井には樹齢200年~300年ともいわれるスギの柾目(まさめ)板がぜいたくに使われている。さらに大黒柱はそのまま地中から生えているのではと錯覚してしまうほど大胆な意匠で、山桜の幹をほぼそのまま使用。幹の方を削るのではなく、戸の側の形に手を加えることで戸が柱にぴたりと閉まる工夫は、うなるしかない発想と職人技だ。自然の造形を生かした意匠の真骨頂を見る思いがした。