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「隠れ貧困」家庭で育ち、ブラック企業に入社して“地獄”を見た女性の行く末

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週刊女性PRIME

 新型コロナウイルスで、さらに深刻化が増す「貧困」問題。中には、見た目ではわからない「隠れ貧困」の人たちも。貧困、格差問題を取材し続け、自らも「隠れ貧困」の家庭で育ったという『年収100万円で生きる―格差都市・東京の肉声―』の著者でフリージャーナリストの吉川ばんびさんに、その壮絶な体験を語ってもらった。 【この記事のすべての写真を見る】   今年の4月末、『年収100万円で生きる―格差都市・東京の肉声―』という本を刊行した。  ネットカフェ難民、ゴミ屋敷の住人、売春で生計を立てる女性など、性別も年齢も境遇もまったく違う16人。今、まさに貧困に陥っている人たちを『週刊SPA!』が取材して文字に書き起こしたものに、私が各エピソードへの論考や総論を書き下ろして書籍化したものだ。  この本の筆者である私自身も、実は生まれついた家庭が貧しく、長らく貧困の当事者だった。しかし、周りの誰にも気づかれることなくここまで生きてきた。いわゆる「隠れ貧困」だ。

我が家にはいつもお金がなかった 

 一般的に「貧困家庭」というと、ひとり親家庭や公営団地に住む人たち、クタクタになった衣服を身にまとっている人々がイメージされることが多い。はたから見れば、両親が健在で共働き、ローンを支払いながらマンションの一室に居を構え、何度も繕った痕跡のある衣服を着ているわけでもない私のことを見て、周りが「あの子の家は貧しいのだろう」と気が付くことはなかったと思う。  しかし蓋を開けてみれば、わが家にはいつもお金がなかった。私がまだ3歳だった1995年に発生した阪神淡路大震災で、当時住んでいた持ち家が倒壊、避難所生活を経てようやく新しい住居を手に入れるまでに莫大な費用がかかったことで、両親はコツコツ貯めていた預金を使い果たしてしまったのだ。  いつからだったか定かではないが、父親と母親にはおそらく精神疾患があり、私が物心つくころから家庭は急速に崩壊しはじめた。  父親は衝動的に突然、会社を辞めてしまう癖があり、たびたび転職と退職をくりかえした。いったん無職になると少なくとも半年か1年は転職活動をすることもなく引きこもり、朝から晩までアルコールに溺れてしまう。おまけに育児不干渉であったため、私とひとつ年上の兄はほとんど父親と会話した経験がない。  母親はそんな父親に振り回され、彼が無職になるたびに借金をこしらえなくてはならないことや、子育てを一人でしなければならないことによる重圧に耐えきれず、次第におかしくなってしまった。母親はとても感情的で、少しでも彼女をイラつかせてしまうと、いつも鬼のような形相で叩かれるのが怖かった。   兄は中学生のころから非行に走り、家庭内でも私や母に対して激しい暴力をふるうようになった。これに関しても父親はまったく我関せずといった様子で、たとえ私がアザだらけになっていようと、顔じゅう血まみれになっていようと、まるで興味がないようだった。  おまけに兄はこの時期から頻繁に金をせびるようになり、母親がお金を渡すことを拒否すると数時間暴れまわることもあるため、私たちの身体だけでなく家中がボロボロになる始末だ。   そんな環境であったから、うちにはいつもお金がなかった。母親は「恥ずかしいから」という理由で、うちが貧しいことも、家庭内暴力があることも誰にも言ってくれるなと私に強く口止めをするので、助けを求めることさえできない。  生活保護の存在は知っていたが、自分たちが受給するものではないと思っていたし、そもそも申請するかどうかの発想すら、私たちにはなかった。とても自力で生活できるような状態ではないはずなのに、私たち家族は誰にも助けを求められず、貧しさを隠し続けて生きていた。   そして、いつのまにか家族同士の関係そのものが失われてしまったのだ。 

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