平野啓一郎、「1つの死刑」で痛感した人生の偶然性 「異世界転生もの」流行の背景にある現代人の感覚
仕事で、家庭で、もし違う道を進んでいたら……。ありえたかもしれないいくつもの人生の中で、なぜ、今この人生なのか? 平野啓一郎氏の新刊『富士山』は、読み手をそんな思考に誘い込む短編集だ。 人生における「たらればの迷路」をテーマに作品を書いた背景には、「自己責任論への強い反発がある」と平野氏。どういうことなのか、本人にじっくり聞いた。 ※記事の内容は東洋経済のインタビュー動画「【作家・平野啓一郎】ロスジェネ世代に生まれて持った「自己責任論への反発」/より「実際の人間関係」に近い小説への挑戦/「異世界転生もの」が流行する背景」から一部を抜粋したものです。外部配信先では動画を視聴できない場合があるため、東洋経済オンライン内、または東洋経済オンラインのYouTubeでご覧ください。 【動画を見る】作家・平野啓一郎インタビュー ロスジェネ世代に生まれて持った「自己責任論への反発」/より「実際の人間関係」に近い小説への挑戦/「異世界転生もの」が流行する背景
――なぜ人生の「たられば」をテーマに作品を書いたのですか? 僕自身が「団塊ジュニア」「ロスジェネ」といわれる世代で、自己責任論というものに強い反発があるんですね。たまたま景気の悪い時代に世の中に出て、たまたま就職がうまくいかなかっただけの人がたくさんいるのに、今世紀になって「全部、自己責任だ」なんて言われるようになって。 最近ではさすがに、もっと構造的な要因があるんじゃないかという考え方が一般的になってきた。みんな「親ガチャ」とか「文化資本」とかいろいろな言葉を使ったり、「(それらによって)貧富の差が拡大再生産されている」と言ったりするようになりました。
人ひとりの人生が「今こうなっている」のは、偶然や運による部分が大きい。それはもう、本人の努力なんかはまったく関係のない要素です。そういう偶然性みたいなものを、改めて主題化したいと考えました。 偶然性に人生が左右されていると認識できれば、今うまくいっている人はちょっと謙虚な気持ちになれるんじゃないかと。うまくいっていない人に対しても、「本人にはどうしようもなかったのかもしれない」と、配慮できるようになるんじゃないかと思います。