“オール沖縄のアキレス腱”? 米軍那覇軍港の返還計画とは 【図解】
沖縄県では、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の名護市辺野古沿岸部への移設問題が注目を集めてきた。玉城デニー知事や、同知事を支持する政治勢力「オール沖縄」は辺野古移設に反対の立場であることは知られている。一方、同じく米軍施設の移設計画であり、かつ移設先が埋め立て地、という共通点がありながら玉城知事らが容認している案件がある。那覇軍港の移設問題だ。“オール沖縄のアキレス腱”とも呼ばれるこの問題の経緯を振り返りたい。
那覇軍港って何?
那覇軍港は、那覇空港から「国際通り」など中心市街地に向かう途中にある。広さはおよそ56ヘクタールで、沖縄県のホームページには「那覇港の一部を成し、那覇空港にも近いことから、産業振興の適地として極めて開発効果の高い地域」と記載されている。 ちなみにこの軍港は近年では、ギネスブックに「世界一のわら綱」と認定され、毎年県内外から多くの参加者が訪れる恒例行事「那覇大綱挽(つなひき)」の綱を製造・保管する場所として使われている。
条件付き返還合意から47年……
米軍が軍港を整備したのは沖縄戦があった1945年のこと。沖縄の施政権が日本に返還された2年後の1974年に日米両政府が移設条件付きで返還することで合意。95年に、移設先が那覇市の北側に隣接する浦添市に決まったが、反対の声が上がったり、移設先にされた浦添の埠頭(ふとう)内での配置案をめぐって地元の調整がまとまらなかったりという事情があり、計画が停滞。移設・返還が実現しないまま47年の歳月が過ぎた。 移設先の浦添市では、これを受け入れるか否かが市長選のたびに争点になってきた。2001年に容認派市長が誕生して計画が進む目処が立ったものの、13年の市長選では新顔の松本哲治氏が那覇軍港移設反対の立場で初当選。その後、松本市長は容認へと転換し、17年、21年の市長選でも「容認」を掲げ当選を重ねている。ただ移設先をめぐって当初計画と異なる場所を求めた時期もある。松本市長が20年8月にその主張を撤回した以降は、計画の当事者である国、沖縄県、那覇市、浦添市の4者が移設を進める考えで足並みがそろっている状況にある。