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山田宏の[タイヤで語るバイクとレース]Vol.24「対策品を開発して4日後までに現地へ!」

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WEBヤングマシン

日本滞在わずか1日のハードワーク

ブリヂストンがMotoGP(ロードレース世界選手権)でタイヤサプライヤーだった時代に総責任者を務め、2019年7月にブリヂストンを定年退職された山田宏さんが、かつてのタイヤ開発やレース業界について回想します。MotoGPクラス参戦3年目となった2004年、走行中にタイヤが壊れる重大トラブルが発生。山田さんらは4日間でその対策を求められることに! TEXT:Toru TAMIYA

敷け、緊急体制!

2004年の6月第1週にムジェロサーキットで開催された第4戦イタリアGPで、カワサキ・レーシングチームから参戦していた中野真矢選手が装着していたブリヂストンのリヤタイヤが300km/hの速度域で壊れて、中野選手が大クラッシュ。当然ながら我々には、早急かつ万全な対策が求められました。しかし次戦のカタルニアGPは翌週開催。金曜日の午前中には走行がスタートするので、我々はイタリアGPの決勝が終了した日曜日の午後から実質4日間で、これを成し遂げなければなりませんでした。 不幸中の幸いだったのは、通常はレースの現場にいない開発部の本部長が、イタリアGPに来ていたこと。決勝が終了してからすぐに、東京の小平にある技術センターの工場に電話で現状報告をしてもらいました。私の独断で工場に緊急体制を築いてもらうことはできませんが、本部長ならそれが可能です。ただし、日本とムジェロの時差は8時間なので、イタリアGPが終了した時点で日本は日曜日の夜遅い時間。とりあえず工場長の携帯に第一報を入れ、月曜日の朝から試作の枠をすべて空けておくよう指示してもらいました。 一方で我々は全レース終了後、コースサイドなどに散らばっていた壊れたタイヤの破片をとにかく拾い集め、その状態などを現場のエンジニアが確認して、トラブルの発生状況を分析。推測を交えながら、日本にいる技術設計者にどのようなタイヤを作るべきか指示できるようまとめていました。日本の技術者はその報告に基づいて、構造やコンパウンドを変更したタイヤを何種類も設計。月曜日の段階から生産を開始していました。 本部長と私は、壊れたタイヤやその破片を持って、現地時間の月曜日夕方にイタリアを飛び立ち、日本時間の火曜日夕方には成田空港に到着。タクシーで小平の技術センターに直行して、招集していた開発プロジェクトのメンバーと合流しました。工場に到着したのは、19時ごろだったと記憶しています。そこから、とにかくさまざまな議論を積み重ね、徹夜同然で作業を実施。週末のカタルーニャGPへの対応について決めていきました。

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