原点はソフトクリームだった!? 手巻き寿司発祥の店『築地玉寿司』で至極の手巻き寿司を堪能してきた
寿司店でも手軽に食べることができ、一般家庭でも浸透している手巻き寿司。だいたいはラッパのような形の「末広型」の手巻き寿司を思い浮かべる方が多いと思いますが、これを世界で最初に考案したのが『築地玉寿司』です。 手巻き寿司発祥の店『築地玉寿司』で至極の手巻き寿司を堪能してきた 創業大正13年、今年で99年目を迎える『築地玉寿司』は、築地エリアでの最古参の寿司店で、関連店舗を含めると30店舗を展開する一方、いつも庶民の味方であり、業界の革命とも言うべき試みを実施してきた、江戸前寿司の先駆的なお店です。
これらを見れば『築地玉寿司』が「末広手巻き」を考案し、日本に広まったことも納得できそうですが、果たしてその経緯と変遷はどういったものだったのでしょうか? 今回は『築地玉寿司 本店』を訪ね、実際に「末広手巻き」をいただきながら店長の伊藤晃寛さんに話を聞きました!
赤字のにぎり寿司との採算を合わせる目的もあった!?ソフトクリームの形を模して考案された手巻き寿司の秘密とは
『築地玉寿司 本店』の伊藤さんによれば、「末広手巻き」は今から50年前の1971年、『銀座コア』というテナントビルに出店する際に考案されたものだったとのことです。 「『銀座コア』に出店する際、先代は『若者にも手軽に寿司を食べてもらいたい』という思いから『今までにない商品を』と考え、ソフトクリームの形からヒントを得て考えたようです。目新しい商品として注目を浴び、『銀座コア』のお店では『末広手巻き』をお求めのお客さまが多く訪れ、大繁盛したと聞いています」(『築地玉寿司 本店』伊藤さん) さらに話を聞くと、ご承知の通り、寿司はネタが命です。そのネタは日によって仕入れ量や価格が異なることから、かつての寿司店の大半が「時価」によって価格を設定していました。今よりもずっと敷居の高い食事であり、庶民はなかなか寿司店に出向くことができなかったようですが、そんな中『築地玉寿司』はいち早く「1貫40円」という明朗会計を取り入れ、寿司業界に革命を起こしました。 多くの庶民にも美味しい寿司を食べてもらおうと思っての試みだったそうですが、しかし「1貫40円」となるとネタによっては赤字になることがあったそうです。こういった際、採算を合わせるために「末広手巻き」を100円とし、帳尻を合わせたという面もあったそうです。 「例えばウニとかトロとかの、味のインパクトが強いものを食べると、シャリ感のあるサッパリしたものが食べたくなるものです。ですので、例えばにぎりを食べていただいた後のシメとして『末広手巻き』の梅しそ巻をオススメし、多くの方に親しんでいただいたという背景もあります」(『築地玉寿司 本店』伊藤さん)