佐藤寿人論(3)サッカー史上でも稀有な「芸術品」
エレガントな、ひたすらにエレガントで完成度の高いゴールに出会いたいのなら、佐藤寿人のプレーを見ればいい。しかし彼は、昨シーズンいっぱいでの現役引退を表明した。もう見ることはできない――。だから思いだそう、世界でもまれなストライカーがJリーグでプレーしていたことを。 【動画】佐藤寿人のJラストゴールとなったダイビングヘッド
■世界中で語り継がれるビューティフルゴール
2014年3月8日のJリーグ第2節、川崎フロンターレを迎えたホームゲームで、寿人は永く語り継がれる美しいゴールを決めた。 0-1で迎えた後半の12分、攻め込んだ広島がいちど中盤にボールを戻した。寿人が中央に立ち、広島は「シャドー」の石原直樹が左からその背後のスペースに向かって走る。だがペナルティーエリアには5人の川崎選手。簡単にチャンスが生まれるような状況には見えなかった。ボールをもった青山が、ゴールを背に下がってきた寿人の足元にグラウンダーの強いパスを出す。寿人は左足でボールをコントロールするが、そのボールは1メートル以上浮いてしまう。その瞬間、川崎のDFたちの足が止まる。ボールがグラウンドに落ち、寿人がコントロールするところを詰めよう――。そんな感じだった。 だがボールを浮かせたのは寿人の狙いだった。左足からボールが浮いた瞬間にすばやく、相手が気づかないほど小さく、寿人は左足、右足とステップを踏んだ。そして右足を軸に体を倒して左足を振り上げ、ボールがほとんど最高点にあるところでとらえた。ボールは美しい孤を描き、川崎ゴールの左上隅に吸い込まれた。川崎GK西部洋平はただ見送るだけだった。 この動画は、いまもYouTubeなどで見ることができる。ゴールが決まった直後に森保監督が映るのだが、その笑顔、「寿人、すごいな!」という表情が、歴史に残るビューティフルゴールのすべてを表している。このゴールは、その年のFIFA年間最優秀ゴール賞(プスカシュ賞)の最終候補10ゴールのひとつに選ばれている。
■希有なストライカーが武器としたもの
寿人は資質としてはごく平凡と言っていい選手だったと思う。日本代表どころか、J2かJ3クラスにとどまる選手だったかもしれない。しかし彼には飛び抜けた「知性」があった。常に自分のプレーを省み、世界のトップクラスを参考に工夫と改善を続け、それをサッカーで最も難しい仕事である「ゴール」の一点に注ぎ込み続けた。 サッカーのプロ選手は一概に「知的」で規律があると、私は思っている。知性がなければチームのなかで自分を生かすことはできないし、規律がなければプロの世界で生きていくことはできない。日本代表クラスになるのは、そのなかでもとくに優れた「知性」の持ち主だろう。しかし知的な選手の多くは、MFやDFというポジションでプレーする。たとえば広島で寿人の能力を飛翔させた森保一のように、あるいは、長谷部誠のように。長谷部を日本代表だけでなく欧州の一流リーグで長年活躍し、クラブの「レジェンド」のような存在にまでしている最大の力は、寿人や森保の場合と同様、「知性」以外の何ものでもない。 だが「ゴール」という仕事は、通常、知性以外のものに大きく負う。爆発的なスピードや強さ、高さといったフィジカル面の資質とともに、類いまれな勇敢さや冷静さといった精神的な資質も、「ゴール」という仕事に不可欠と思われる。そうした面で飛び抜けたものをもつわけではない選手が、ストライカーとして並外れた記録を残すというのは、世界でもごく希なケースと言っていい。 寿人は、そうした、サッカー史でも希有な存在と言えるのではないか。彼はその「知性」を武器として、Jリーグの舞台で、「ゴール」という面で傑出した業績を残した。細部の細部にまでこだわり、「ゴール」につながるプレーを磨き抜いたことで、佐藤寿人というひとつの「芸術品」が完成したのだ。