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「同調圧力」に晒され、独立の危機にある裁判官

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nippon.com

市民的自由に近づかない「雲上人」:裁判官の実像

日本では、もともと法曹人口が少ない上に裁判官の数は2000名程度で推移していたため、裁判官の実像は一般の市民には知られておらず、裁判官は「雲上人」と見られていた。1999年「司法制度改革審議会意見書」により、行政による事前指導型社会から司法的ルールに基づく事後救済型社会への移行が目指されて、法曹人口の増大が図られた。しかし、弁護士の著しい増加に比して裁判官は期待されたほどには増加していない(現在3000名程度)。 法制度如何を問わず、裁判官の役割は司法権の担い手として「法の支配」を貫徹することである。そのためには結論の正しさだけではなく、手続きの公正、透明性、基準の明確性が求められ、国民からの信頼をかち得ることが不可欠である。そして、裁判官個々人には、裁判官の役割から帰結される、法に対する忠実性、独立性、公平中立性などの公正保持義務に加えて、廉潔性や品位保持の義務が求められる。 おそらく、日本の裁判官は、廉潔性に関する限り、世界でも最優秀と評価される存在であろう。日本では、賄賂による判決の不正といった事態はまず想定できない。それは、裁判官が内的な自覚と自制心をもって裁判官としての職責を果たしているからに他ならない。 そして、特徴的なこととして、諸外国と異なり、日本の裁判官には明文の倫理規定がない。「裁判所内部の先輩・後輩の関係に基づく伝承と指導によって慣習法的な倫理規範が形成されているので、成文化されていなくとも既に高い職業倫理が確立されている」と裁判官は言う。 では、日本では裁判官の非行、すなわち倫理違反はないのかといえば、そんなことはない。確かに、裁判官に固有の倫理義務違反の事例はある。しかし、その現れ方がいささか異なる。どの国でも、裁判官には職務外の活動であっても国民の一般的信頼を損なうような行動を差し控える義務が定められており、国民一般からどのように見られるかという「外観」が重視されている。そのため、裁判官の市民的自由と国民の裁判官に対する信頼をどう調和させるかという問題が提起される。 日本の場合、法的には裁判官にも市民的自由が保障されているものの、実際には、社会一般から問題があると見られる「おそれ」がある行為は避けるべしというのが裁判所の伝統的な考え方である。従来の例では、裁判官という身分を明かして政治的見解を表明したことや個人的ブログで法律問題を論評したことが外観理論に基づき懲戒事由に当たるとされている。 似たような事例は世界中どの国にも見られるが、市民的自由を優先するのが国際的なスタンダードといってよい。わが国の懲戒事例は少ないものの、こうした先例は、裁判官の市民的自由を拡大する方向ではなく、過度に裁判官の自粛効果をもたらす「同調圧力」として働いているのではないかと私は危惧している。

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