人間に翻弄され続けた200年、フロリダマナティーの驚きの過去が明らかに、研究
「私たちにはマナティーを幸福にする責任がある」と研究者
11月20日付けで学術誌「PLOS ONE」に発表された研究によると、フロリダマナティー(Trichechus manatus latirostis)の現在の頭数は、人類が北米に進出して以来最多かもしれないという。今、人間の活動がもたらす変化が彼らの生存を脅かしているが、実は過去200年間に頭数が増えたのも、人間の活動がもたらした環境変化のせいである可能性がある。 ギャラリー:危機に直面するフロリダマナティー 写真8点 フロリダマナティーはニシインドマナティーの亜種で、主にフロリダ州に生息している。フロリダ州魚類野生生物保護委員会によれば、同州の2021~22年のマナティーの頭数は8350~1万1730頭と推定されている。 新しい研究によると、19世紀以前にフロリダで泳いでいたマナティーは、カリブ海に定着していてときどきフロリダにやって来る観光客のようなものだったという。ヨーロッパからの入植者による地形の大幅な変化と人間の活動がもたらした気候変動が始まった時期は、フロリダの海を訪れるマナティーが増えた時期と一致している。 今、専門家は、マナティーをフロリダに引き寄せたのと同じ変化のいくつかが、マナティーの生存を困難にしているのではないかと懸念している。
非常に珍しかったマナティー
今回、米南フロリダ大学と米ジョージ・ワシントン大学の考古学者たちが、1万4000年前以降の約200万点の動物の骨について記載されている67点の考古学報告書を分析した。すると、そうした骨の中にマナティーのものはほとんどなく、発見されたごく少数のマナティーの骨は道具や装飾品として使われていたことが明らかになった。 研究者たちは、植民地時代より前のフロリダの海にはマナティーはほとんどおらず、マナティーの骨でできた道具や装飾品は、カリブ海でマナティーを狩猟する人々と交易していた米先住民から伝わったものではないかと考えた。 もちろん、マナティーは当時からフロリダの海に生息していたが狩猟の対象ではなかったために、遺跡から骨が見つかっていないのだ、と考えることもできなくはないが、研究者たちはその可能性は低いと考えている。 なぜなら、1528年から1595年の間にフロリダ半島中西部のタンパ湾に上陸した探検家たちの記録の中に、マナティーに言及したものがないからだ。彼らは食料源を探していたはずなので、マナティーがいたら必ず記録していたはずだ。より古い探検家の記録の中には、例えば「海のオオカミ」についての不明瞭な言及があるが、現在ではこれはアザラシを指していると考えられている。 フロリダのマナティーに関する最初の信頼できる記述は、この地域が英国の植民地だった1700年代後半のものだが、その後も目撃記録は少ないままだった。「1800年代にマナティーが目撃されると、トップニュースになるほどでした」と、今回の論文の著者で、南フロリダ大学の考古学者であるトーマス・プラックハーン氏は言う。 ところが1920年代から1930年代になると、マナティーの目撃が印刷メディアで日常的に報告されるようになる。そして1950年代半ばには、タンパ湾のマナティーが「増えた」と報告されるようになり、同じくフロリダ州のメキシコ湾に流れるクリスタル川の「永住者」と呼ばれるようになった。 これらのことから研究者らは、かつてフロリダにはマナティーは少数しかおらず、しかもこれらの個体はカリブ海から一時的に来ていただけだったが、1800年代後半から1900年代にかけてフロリダに定着するようになったと結論づけた。 「確実に言えるのは、1800年代までの考古学記録や歴史記録ではマナティーの存在はほとんど確認されていないということです」とプラックハーン氏は言う。「最も可能性の高い仮説は、当時はマナティーの数がそれほど多くなかったというものでしょう。フロリダは彼らの生息域の北限に近く、気温が許せば、ときどきフロリダまで北上してきていたのだと思います」