占星術の起源と科学的根拠
宿曜道(すくようどう)とは、平安時代、空海とその後に大陸に渡った学僧より日本へもたらされた密教の占星術。 空海は遣唐使として中国に渡り、多く仏典を携えて帰国した。そのリストである『御請来目録』に記載されている経典の約8割が『不空三蔵和尚譚』である。 その著者は密教を唐の国教にまで昇華させた中国密教の開祖、不空。 不空は祈祷によって暴風雨を鎮静したり、雨乞いを成功させたりといった霊力があったと、唐の高僧の伝記を集めた『宋高僧伝』に伝わる。不空は空海の師、恵果阿闍梨の師匠である。 『御請来目録』の中に上下二巻からなる『文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経二巻 四十紙』がある。この経典は、最後だけをとり『宿曜経』と一般に呼ばれている。 この『宿曜経』をもとに、天体の動きや曜日の巡りによって日や方角などの吉凶を読み解く方法が説かれ、宿曜道という占いの一派が形成された。 平安時代、占いは預言、予知であり科学の一分野で宿曜道の宿曜師と陰陽道の陰陽師がその勢力を二分するほど盛んに行われた。 『宿曜経』の序文には、不空によってこの占いは中国にもたらされ、司馬史揺が編纂、これに楊景風が修正し註を加えて成立したとある。 空海が『宿曜経』を日本に持ち帰ったのは、この法が国家護持をもたらすと考えたことによる。 『宿曜経』は、お釈迦様の教えである仏説ではなく文殊師利菩薩と諸々の仙人が日々の吉凶と宿曜の善し悪しを説いたとしている。 つまり、その内容は仏教の教理とは全く関係がない。
その概要は、月は新月から満月、満月から新月まで形を変えるが、宿曜道は月の運行を27の星(二十七宿:天文学で用いられた月の周期である白道上の月の位置、方向の位置を表すために用いられた区分法)に分け、生年月日と生まれた日時によって宿が割り出される。 その月の状態により対象となる人の性格や運勢、日々の吉凶などを占うもので、もし仮に、占いが凶であったら、その星の神々を祀り、運勢を好転させるように働きかける。 つまり、宿曜道とは単なる占いではなく、大自然の旋律から生み出された運気を、神仏を祈祷することで未来を人為的に操作し好転させるものである。 太古の昔から星は神格化されており、惑星神が日を支配するという発想は現在もインドで深く信仰されている。 宿曜道の源流はインドの暦学とギリシャの思想・文化を起源とするヘレニズムから伝わった占星術が合わさり、中国の道教の天体神信仰、陰陽道五行説の概念が取り入れられた。 天文学と占星術は密接な関係がある。 宇宙は天体が数学的な法則にしたがって運動し、この運動が調和を生むという原理のもと、天上の星の動き、場所と人の運命とは関係があるという考え方に占星術は基づいている。 それは出生時などの年月日と時刻に惑星がどの位置にあるかを特定することで、様々な事象を解釈する。 初期メソポタミア文明には、すでに太陽の通り道の位置を1週360度を12等分し定めた黄道十二宮の概念があっり、それを座標としたホロスコープがバビロニアで発掘されている。 宿曜経とともに中国に入ってきたのが惑星を神格化した七曜で、これは7日間をひと区切りで繰り返えされる月の満ち欠けの間隔から導き出されたもの。