“渋谷系”ピチカートの小西康陽、新作完成前に亡くなった父との関係「悔しいけれど、強い影響を受けていた」
本棚を通して父親と会話しているような不思議な時間だった
――文筆家を目指していたのですか。 「直接聞いたことはないのですが、葬式が終わって父の本棚からいろいろ引っ張り出してみると、『文章の書き方』とか、『小説家入門』とか、そんな本がたくさん出てきました。『そういう夢を持っていたのかな』なんて思いながら、本棚を漁っていたら、その中に夏目漱石の書簡集を見つけて、めくっていると『得恋』という言葉を発見したんです。直感的に『これだ!』と思い、アルバムタイトルを『失恋と得恋』に決めました」 ――まるでお父様からのメッセージのようですね。 「そうかもしれませんね。本棚を眺めていると結構、僕の好きなものが置いてあることに気が付きました。さらに父が一番夢中になっていただろう作家は、今僕がハマっている人だったんです。生きている間は面と向かってそういう話なんかできなかったのに、亡くなった父親の本棚を通して父と会話しているような、不思議な時間でした」 ――今回のアルバムは重要な作品になりましたね。 「そうですね。もともとは、昨年8月に行った公演『小西康陽・東京丸の内』の演奏が良かったので、『ちゃんとレコーディングして残そう』という企画で始まったのですが、途中から『私が死んだ後にも残るアルバムを作りたい』と考えるようになりました。今年65歳になり、この歳になるとやっぱり『自分が死んだ後も残るかな』って誰しも考えるかなって思うんです。きっと僕の作品なんて残らないと思いますよ。でも、たった1人でも発見してくれた時に『これいいな』って思ってもらえる作品を残していきたい。ジャケットアートも最初は『風景画でもいいかな』と考えていましたが、途中から『やっぱり自分の写真にしよう』と思うようになり、納得いくものが完成しました。完成した後、『これでよかったな』って、そう思いました」 後編は、ソロアルバムやピチカート・ファイヴについて語ってもらった。 □小西康陽(こにし・やすはる)1959年2月3日、北海道札幌市出身。青山学院大卒。1984年にピチカート・ファイヴを結成し、翌85年にメジャー・デビュー。代表作は『東京は夜の七時』など。2001年に解散。また作家、プロデューサーとしてSMAP、かまやつひろし、夏木マリ、小倉優子ら数多くのアーティストの作品を手掛け、『慎吾ママのおはロック』(2000年)はミリオンセラーを達成する大ヒットとなった。
福嶋剛