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コスパのいい「勲章」制度 人は“ただのメダル”になぜ取り憑かれるのか(古市憲寿)

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デイリー新潮

 古今東西、人を惹きつけてやまないものに名誉がある。権力者の巨大モニュメントからオリンピックのメダル、文学賞まで、この世界には名誉のシンボルがあふれている。  弘兼憲史さんの漫画『会長 島耕作』でこんなシーンがあった。島耕作が「経済連(モデルは経団連)の会長になると何かいいことがあるのでしょうか」と財界の重鎮に聞く。その答えとは「名誉」。具体的に言えば勲章の種類が変わるのだという。

 桐花大綬章は総理大臣、衆参両院議長、最高裁長官という三権の長に与えられるのが基本。そして経団連会長にはワンランク下の旭日大綬章が授与されるのが通例なのだが、功績やコネクションによっては桐花大綬章をもらえるチャンスが出てくるという。  写真で見る限り、それほど格好いいデザインではない。しかも親授式では幅広のリボンを、肩から斜め掛けすることになる。保育園の終業式で園長先生からもらう、「よくできました」バッジのようだ。社会的地位の極めて高い高齢男性が、嬉しそうに赤いリボンを斜め掛けする様子は、非常に微笑ましく、生暖かい視線を送らざるを得ない。  勲章とはコスパのいい制度である。ほとんど原価がかからないにもかかわらず、人々の意欲を喚起し、公共のために頑張ってくれる人を増やすのだ。  露骨なのが紺綬褒章である。指定された公益団体に500万円以上を寄付すると授与される。要は「買える勲章」というわけだ。見た目は地方の土産物屋に売ってそうなメダルそのもの。原価は数千円ではないか。  勲章に限らず、為政者たちは人間の名誉欲や承認欲求をうまく活用してきた。軍人や警官の階級もそうだろう。現代日本でも自衛隊員や警官が殉職すると、一階級、もしくは二階級特進するのが通例である。  殉職のような「死」は極端だが、名誉職とされる活動は、客観的には罰ゲームに近い場合も多い。名誉を保つにはお金も時間もかかる。名誉のために世話役や雑用係を買って出てくれる人がいるから社会は回る。身分の高い者には相応の社会的義務が発生するというノーブレス・オブリージュも、要は名誉を保つためと考えればわかりやすい。  しかし勲章にしても賞にしても、結局は人間が決めるもの。しかも少数の人間が、極めて政治的な利害関係を鑑みて判断することも多い。決して客観的な指標ではないし、高位の勲章をもらった人が必ずしも立派だとは限らない。  そんなことはみんなわかっているはずなのに、名誉欲に抗うのは難しい。  ある大物財界人は、どうしても桐花大綬章が欲しかったのだが、結局、旭日大綬章になってしまった。それを知って大泣きしたという話を聞いたことがある。世間的には立派な経営者で、十分すぎるくらい地位も名誉も手にしたように見えるのだが、本人としては桐花大綬章を人生の上がりとしたかったらしい。メルカリでレプリカでも入手して、プレゼントしてあげたい。 古市憲寿(ふるいち・のりとし) 1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。 「週刊新潮」2020年7月30日号 掲載

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