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超高級デザートだったクレープを庶民の「定番スイーツ」に変えた立役者は誰だ?

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アーバン ライフ メトロ

クレープが知られるようになったのは1960年代

 洋菓子のなかには、オリジナルにアレンジの手が加わり、原型からすっかり姿を変えたものが少なくありません。 【画像】とどまるところを知らない進化 今春デビューのKAWAIIクレープたち  典型が、苺(いちご)のショートケーキ。元来は硬めのビスケットとバタークリームを使ったケーキでした。それを日本人好みのソフトなスポンジとふわふわの生クリームに置き換えた。この工夫が、時代を超えた大ヒット商品になるための突破口でした。  フランス生まれのクレープも、ショートケーキと同じく、日本で独自の進化を遂げた洋菓子です。  クレープは高級レストランのデザートとして登場しました。それ以前から一流ホテルで出してはいましたが、とりわけ知名度を上げるのに貢献したのが1966(昭和41)年、銀座に華々しく開店した「マキシム・ド・パリ」。当時パリで最高峰だった19世紀創業の老舗レストランです。  その支店ができたことは、日本のめざましい経済成長を物語る大ニュースになりました。現在ミシュランの三つ星を50年間取り続けている名門レストラン「トロワグロ」のオーナーシェフであるピエールさんを初代料理長として招聘(しょうへい)したことも、一大事件でした。  マキシムの名物デザートが、クレープ・シュゼット。三角に折り畳んだクレープを、オレンジソースでくつくつと煮て、リキュールをふりかけてフランベ(火をつけて燃やしアルコール分を飛ばすこと)するというパフォーマンスを、テーブル脇のワゴンで給仕人がうやうやしく行いました。優雅なサービスを初体験した日本人の衝撃は、いかばかりだったでしょう。

多大な影響力を誇った「女性誌」の功績

 とはいえ、クレープ・シュゼットだけでも、値段はいまの感覚でいうと2人前が6000円くらいと超高価。あちこちのメディアで紹介されても、ひと握りの金持ちしか行けない特権的な店だけに、その象徴であるクレープへの憧れをみな募らせることになりました。舌平目やカモ肉など、マキシムには名物料理もたくさんありましたが、デザートのほうが分かりやすかったのでしょう。  クレープの高級イメージを覆したのが、1970年代の女性たちです。  発信源になったのが、1970(昭和45)年創刊の『アンアン』と翌1971年創刊の『ノンノ』をはじめとする女性雑誌でした。記念すべきクレープデビューは、アンアン1970年5月20日号の、「こういうヒト見ると あァパリだなと思っちゃう」。クレープの紹介記事は、こんな感じです。 「“クレープ“って知ってる? コーヒーに入れるもの? パリではちがいます。薄べったいホットケーキ風のもの。ドンドン焼きネ。中にバター、お砂糖、ラム酒、ジャムなんかを入れて、四つに折りたたんで食べるの。レストランにもあるけど、街の屋台の歩き食いが楽しいわネ。これパリ的ヨ」  粉末クリームの「森永クリープ」にひっかけた「コーヒーに入れるもの?」も笑えますが、いきなりドンドン焼きです。フランスかぶれは同じでも、雲の上の高級デザートを手の届くところに引きずり下ろして自分事にし、かしこまって食べるより、歩きながら食べたほうがかっこいいと断じる臭覚のよさ。感心します。  ノンノも負けずに1972(昭和47)年5月5日号で、現地リポートつきの特集「フランスのお好み焼きクレープ」を組みました。アンアンがドンドン焼きなら、ノンノはお好み焼き。あくまで身近な名前で呼ぶところからは、このお菓子を知ってほしいという編集者の意志を感じます。この頃の雑誌は、いまとは比べものにならないほど強い影響力を持っていました。

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