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兄の遺品、76年ぶりに古里へ 20歳で戦死、家族が送った手紙が米国から届く 瀬戸内町加計呂麻島

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南海日日新聞

 太平洋戦争末期、北マリアナ諸島付近で20歳で戦死した旧日本海軍兵の西田保さん=鹿児島県瀬戸内町加計呂麻島勢里=が戦地に持参した手紙が11日、米国から日本の遺族へ返還された。76年前に西田さん宛てに家族から送られた2通で、武運を祈る言葉やそれぞれの近況などがつづられている。遺留品を受け取ったのは古里に住む弟の俊男さん(91)。「兄が家に帰ってきたよう。子や孫に大切に引き継いでいきたい」などと語った。  手紙は、米国のトーマス・S・マックスウェル氏が「元海兵隊だった叔父の遺品を返還したい」と外務省を通して依頼した。厚労省が今年3月、手紙の内容から保さんが持ち主だと突き止め、県から連絡を受けた瀬戸内町が遺族を探していた。  保さんは1943年に勢里を離れ、旧日本海軍第54警備隊に所属。俊男さんによると、44年の夏ごろ北マリアナ諸島のテニアン島付近で戦死したとされているが、詳しいことは分かっていない。  43年4月に県立鹿屋農学校に入学していた俊男さんは、入隊のため奄美から県本土に渡った保さんと鹿児島市内で面会した。「鹿児島駅で手を握って『行ってくるぞ』と(言われた)、それが最後になった。働き者で物静かな兄だった」と振り返った。  2通の手紙のうち1通は44年2月19日に書かれたとみられ、両親と姉の連名で「相変わらず食糧増産に一生懸命」「田の手入れは立派に終わり、製糖準備に多忙」「うちのことは心配せずお励みください」などと保さんを励ます内容がつづられている。  もう1通は44年3月ごろに俊男さんが送ったもので、「春休みに帰省したら田舎のニュースをお知らせします」「来年は飛行練習生に合格して兄上と共に米英打倒にまい進したい」「必ず便りをください」などと書かれている。  11日は鎌田愛人町長らが俊男さんの自宅を訪れ、手紙を手渡した。保さんの遺品は現在、この手紙が唯一という。俊男さんは「手紙を保管し届けてくださった多くの方々に感謝したい」と喜び、「国や地域で意見の対立もあるが、世界中の誰もが人間らしく暮らせる世の中がいい。若い方々の暮らしがいつまでも平和であってほしい」と祈った。

奄美の南海日日新聞

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