片山杜秀/菅「敗戦処理内閣」が露わにしたディストピアとしての未来――文藝春秋特選記事【全文公開】
「文藝春秋」2月号(2021年1月10日発売)の特選記事「菅『敗戦処理内閣』の自爆」を公開します。 ◆ ◆ ◆ 「みなさん、こんにちは。ガースーです」――インターネット番組でこう自己紹介する菅義偉首相の姿を見て“これが一国の宰相か”と、全身から力が抜ける思いがしました。安倍政権を官房長官としてあれだけ長く支えてきたのだから、推進する政策の是非は脇に置くとしても、少なくとも“カミソリのような切れ者”だったのではなかったのか、とこれまでの認識も裏切られました。 いま私たちは、菅政権の“迷走ぶり”を毎日繰り返し見せられているわけですが、これからますます何か悪い方向に向かう“歴史的な局面”に立ち会っているのではないか、という嫌な予感がしています。 こうした迷走ぶりが、単に首相や閣僚の個人的資質に帰せられるような問題であれば、首相や閣僚が代われば済むでしょう。しかし、いま私たちが目撃しているのは、そんな次元の問題ではなく、大げさなようですが、ひょっとして「この国のかたち」(日本の統治機構)それ自体が崩壊する過程ではないか、という気がしてならないのです。 こう思ってしまうのは、まず「安倍政権から菅政権への引き継ぎ」の仕方に、そうせざるを得なかった真の原因を糊塗するような“不誠実さ”を感じるからです。 安倍首相の辞任は、表向きは「健康上の理由」とされています。実際、本人のご体調の問題もあったのでしょう。しかし、安倍政権末期の一連の経緯を見ていると、結局のところ、コロナ危機を前にして、それまでのやり方が手詰まりになった。いわば“政権を放り出した”と思えてならないのです。 “見せかけの危機”と“本物の危機” ここに言う安倍政権の「それまでのやり方」とは、一言で言えば“平時の非常時化”です。つまり“平時”において“非常時”を煽る。ありもしない“危機”を演出して、その危機から国民を守っているように見せかける。現在を実際よりも深刻に見せて、未来に希望を先延ばしする。これが安倍政権の得意技で、これによって政権浮揚を図ってきたのです。 それほどの危機でないような時に、Jアラート(ミサイル発射などに対する全国瞬時警報システム)を鳴らして“危機”を煽ってみたり、東京五輪や大阪万博を誘致して、未来に何か良いことがあるかのように見せる。それは一種の幻影にすぎません。しかし、そう疑われても、また次の幻影を見せればいい。安倍政権は、こういう演出を一生懸命にやって延命してきました。 ところが、コロナ危機で、安倍政権は“本物の非常時”に直面することになります。 これでは“平時の非常時化(=未来への問題の先延ばし戦略)”というお得意の手法は通用しません。むしろ“非常時を平時に”戻さなければならない。つまり、コロナという「いま目の前にある本物の危機」に対処しなければならなくなったのです。 コロナという危機の実態は、具体的な数値となって表れます。検査数に限界があるとは言っても「感染者数」の日々の推移は、すぐに数値化されます。とくに「死者数」などは誤魔化しが利かない。こうなると、目の前にある本物の危機を放置して、何か別の幻影で国民の目をそらすことなどできなくなります。 こうして“見せかけの危機”を演出して長期政権を維持してきた安倍政権は、コロナという“本物の危機”に直面することで迷走し始めました。
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片山 杜秀/文藝春秋 2021年2月号