“女優イ・ジウン”に新たな歴史を刻んだIUにインタビュー。『ベイビー・ブローカー』は「母役を演じてみたいと思った時、運命的に出会った作品」
本業は歌手でありながら演技力も認められ、女優として世界に名を馳せるのは決して簡単ではない。少なくとも韓国ではいままで先例がなかったしかし、日本を代表する映画監督の一人である是枝裕和監督が手掛けた『ベイビー・ブローカー』(公開中)で赤ん坊の母親を演じたIUことイ・ジウンは、日本と韓国だけでなく、世界の映画ファンやメディアから最も注目されていて、“アイドル出身女優”の新たな歴史を刻んでいると言っても過言ではない。 【写真を見る】スモーキーメイクで、終始冷たい態度を見せていたソヨン役のイ・ジウン。韓国スラングの悪口"辱說演技"も披露! 『ベイビー・ブローカー』は第75回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で最優秀男優賞とエキュメニカル審査員賞を受賞し、さらに話題になっている。イ・ジウンは同作で、“赤ちゃんポスト”がある施設に赤ん坊のウソンを預ける母親のソヨン役を務めた。そこでソヨンは、裏で赤ん坊を売る“ベイビー・ブローカー”のサンヒョン(ソン・ガンホ)とドンス(カン・ドンウォン)に出会い、成り行きで彼らとともに養父母を探す旅に出ることになる。イ・ジウンは「昔から是枝監督のファンだったので、監督の新作に出演することができて光栄です。私を信じてキャスティングしてくれたことに、とても感謝しています」とコメントした。 ■「昔から好きだった是枝監督の作品に出演できて光栄です」 「私自身もカンヌ国際映画祭で初めて『ベイビー・ブローカー』を観たのですが、すごく緊張していました。『次のシーンに私出るよね、大丈夫なのかな』という風にずっとそわそわしながら観ていました(笑)。でも予想以上に、とてもおもしろかったです。カンヌに出国する前に母親から『今回の映画、おもしろいの?』と聞かれて、『是枝監督の作品って、人によって感想が違うと思うよ』と答えたんですが、実際映画を観てから『今回の映画、おもしろいよ!』とメッセージを送りました」 受賞には至らなかったが、カンヌ国際映画祭の期間中、現地ではイ・ジウンが最優秀女優賞の候補として取り上げられた。イ・ジウンは「当時バタバタしていて自分は気付いていなかったのですが、スタッフとファンの方々にそういう内容の記事を見せてもらって、『是枝監督の力って本当にすごいな』と思いました。是枝監督の作品だからこそ、私の演技も注目されたんだと思います」と語った。 是枝監督はイ・ジウンが主演を務めた韓国ドラマ「マイ・ディア・ミスター~私のおじさん~」のファンで、同作でのイ・ジウンの演技に魅せられて彼女をキャスティングしたというビハインドストーリーを明かしたことがある。イ・ジウンは「是枝監督の提案を受けた時、『私にソン・ガンホさんと面と向って演技することができるのかな』と、不安しかなかったです」と当時のことを回想した。 「大先輩たちとの共演が心配で仕方なかったのですが、是枝監督のおかげで無事に演技することができました。ソヨンの選択や行動について、監督に色々質問しながら相談させて頂いたのですが、いつも明快に説明してくれましたので、なんの疑問も持たずにソヨンを演じることに集中できました。とても頼りになりましたね」 ■「撮影現場はいつも和気あいあい、サプライズで誕生日も祝ってもらいました」 劇中でソヨンはダークカラーのスモーキーメイクをしたまま、サンヒョンとドンスに対して初めは初めは一貫してつっけんどんな態度をとる。しかし、時間が経つにつれ、ソヨンはサンヒョンとドンス、ヘジン(イム・スンス)に深い絆を感じ、心を開くことになる。 電気が消えた部屋で横になり、彼らに向けて「生まれてくれてありがとう」と伝えるシーンは『ベイビー・ブローカー』の最高の名場面。また、是枝監督が観客に伝えたかったメッセージがこもっている台詞でもある。 「このシーンを撮影するころにはキャストたちもすっかり仲良くなっていて、お互いに気を許せるようになっていました。特にヘジン役のイム・スンスくんがいつも現場の雰囲気を盛り上げてくれていたので、ぎこちなさを感じることは一切なく、常に和気あいあいな感じでしたね。おかげで完全にソヨンになりきって、より心を込めて演技をすることができました。『生まれてくれてありがとう』という台詞は、初めてシナリオを読んだ時から最も大事なシーンだと思いましたので、ちゃんとしおりを挟んでおいた記憶があります。最初は少し力を入れて、悲しみを抑えている感じで台詞を言ってみましたが、『この瞬間ソヨンが感じる感情って、きっと悲しみではないだろうな』と思って、淡々とした感じで言ってみると、是枝監督も『こっちがいい』と言ってくれました」 3人だけでなく、ブローカーのサンヒョンとドンスを現行犯逮捕しようと静かに追いかける刑事を演じたペ・ドゥナとイ・ジュヨンとの絆も深かった。2人は『ベイビー・ブローカー』の撮影中に誕生日を迎えたイ・ジウンのために、手作り料理でもてなしたという。 「実は2人と共に撮影するシーンはそんなに多くなかったんですが、ずっとロケ地のホテルで一緒に過ごしていたので、仲良くしていただきました。たくさんおしゃべりしたり、ユンノリ(韓国の旧正月に行われる、日本のすごろくのような伝統的な遊び)をしたり、毎日が楽しかったです。とはいえ、まさか誕生日サプライズを用意してくれるとは想像すらもできなかったのでびっくりしました。感謝してもしきれないほど暖かくお祝いしてもらって、本当にうれしかったです」 イ・ジウンは、もう一つの記憶に残るエピソードとして荒々しい"辱說演技"を挙げた。シナリオ上には日本式の悪口で表記されていたが、自ら是枝監督に「韓国の辱說(相手を侮辱するようなスラング)に変えたほうがよさそう」と提案したという。 「シナリオに書いてあった日本式の悪口はあまりにもまろやかな感じだと思いました。韓国の辱說のほうがよりストレートで、インパクトが強いんじゃないかなと。母とマネージャーの前で何度も辱說を練習して、撮影現場で披露すると、是枝監督もすごくおもしろがっていました(笑)」 ■「他人の人生を生きて、新たな分野に興味を持つようになるのが演技の魅力」 芸能界デビュー15周年を迎える彼女だが、いつの間にか"歌手IU"に負けないくらい“女優イ・ジウン”という肩書きにも慣れてきた。実際「マイ・ディア・ミスター~私のおじさん~」を観た是枝監督は、イ・ジウンの演技が完璧に作品の溶け込んでいたため、彼女の本業が歌手ということに全然気づいていなかったという。イ・ジウンは「普段あまり深く考える機会がない問題などについて興味を持つようになるのが演技の魅力だと思います」とコメントした。 「『ベイビー・ブローカー』のソヨンを演じたことで、社会の暗い一面に目を向けるようになりました。恥ずかしながら、30歳になったいままで、未婚の母が抱えている苦痛や社会的問題について真剣に考えたことがなかったのです。そういう風に、演技を通じて他人の人生を生きることによって、まったく関心を向けていなかったなにかに没頭するようになる感覚が好きです。それが、自分が演技をし続ける原動力になっていると思いますしね。もう一つの演技の魅力は、所属感を感じることができるということですかね。基本スタッフと一緒に動いてはいますが、ソロ歌手として活動しているので、ふと唐突に寂しい瞬間が訪れるわけです。『自分が選択して歩んできたこの道は、間違っていなかったのかな』と不安になる時もあります。しかし映画やドラマを撮影する時は、各自が与えられた役割を果たし、たくさんの人が同じ目標を目指して進んでいくので、とても心強いです」 今後イ・ジウンがどういう作品を選んでどういう演技を見せてくれるのか、いまから期待が集まっている。イ・ジウンは「一番大事なのは“タイミング”かも知れません」と、微笑んだ。 「まだ自分の中で作品を選ぶ明確な基準などは特にないですね。ただ、漠然と『母役もやってみたいな』と思っていたころ、ちょうど『ベイビー・ブローカー』の出演提案を受けたんです。そのタイミングじゃなかったら、そんなに喜んで快諾していなかったかも知れません。『マイ・ディア・ミスター~私のおじさん~』や『ホテルデルーナ ~月明かりの恋人~』も、『次はこういう人物を演じてみたい』と思っている時にタイミングよく自分のもとに来てくれた作品です。歌手としての活動もあり、時間的な制約が多い方なので、次回作もおそらくちょうどいいタイミングに運命的に出会う形になるんじゃないかなと思います」 取材・文/楊智媛