Yahoo!ニュース

IDでもっと便利に新規取得

ログイン

【バレー】カーテンコール阿部裕太・中編「サントリーへの移籍も東レへの復帰も、多くの人に迷惑をかけた。感謝の気持しかない」

配信

  • この記事についてツイート
  • この記事についてシェア
バレーボールマガジン

バレーボールV.LEAGUE DIVISION1東レアローズのコーチ、阿部裕太さんにお話を伺った。中編はキャリア半ばでのサントリーへの移籍と、東レアローズへの復帰について聞いている。プロフィールは文末を参照。 阿部裕太フォトギャラリーpart2 ――サントリーに移籍した理由は。 東レですごく居心地がよくて、このままいって… 自分は9シーズン東レでやらせてもらって、練習ですごくがんばらなくても、「この選手は試合でこれくらいはやってくれるだろう」というのもベテランになってくるとわかってくる。自分も入ってきた頃の緊張感をもってやってるかというと、それはなかったと思う。 もう一回練習で1からアピールして、それで成功するかしないかじゃなくて、自分の成長がその時がピークという感じになるんじゃないかなと。もちろん大失敗する可能性もありますけど、そこで一回苦しんでおくことで…。サントリーどうこうでなくて、理由としては自分が一歩前進…刺激を受けて、だめならだめでその現状も自分で理解して、ある意味身の程を知ることができるんじゃないかなと。東レにいたら、惰性で何年か続けていきそうな気がしたんですよね。実際東レにずっといたらまた新たななにかがあったのかもしれませんが。東レが嫌いになって出て行ったわけじゃないので。 会社の人たちもずっとよくしてくれてたんで、やってることだけを見たらすごい自分勝手だなと思うし、いっぱい多くの人を裏切ってしまったとは思うんですけど、ただなんかここにとどまっていることが自分が胡坐をかいてしまいそうな感じになってしまうと思ったので、それで移籍を決断しました。

サントリーでの経験

――東海大の同期で全日本でも一緒だった酒井大祐さんが一足先にJTからサントリーニ移籍していましたが、相談されたりは。 酒井とも話しましたし、迷ってることはチームの近い人ともしました。 ――反応は。 気持ちはわかってもらえたんですけど、ここで残ってほしいと言われました。「東レでやることもあるんじゃない?」という話も…。残ったら残ったで絶対やることもあったし、それが一アスリートじゃないところもどんどん見えてくる…。ただ、まだその時期じゃないっていうのも当時思っていました。 ――サントリーで得られたものは。 予想していたとおり、競争もだし…もちろん、常にクビのかかった緊張感、けがも多くしたし、5シーズン、すごく苦しいことのほうが多かったです。試合にも出させてもらったし、けがも経験したし、控えも味わったし… ――JTが初優勝したときの決勝戦、ジルソン監督(当時)が「阿部を出し続けていれば、サントリーが勝った」と。 けがも実力のうちですから。 ただ、エバンドロ(当時のサントリーの助っ人外国人選手)とすごく自分の中では相性が良くて人間的にも素晴らしくて、インスタでも今でもたまに連絡とか取るんですけど。そういう選手とかと巡り会えたのはよかったですね。 ――当時在籍していた柳田将洋さんはどんな人か。 マサはなんていうんですかね、思ったより普通なんですよ。皆さんが思われてるより普通のいい子っていうか。僕もあまりぶっ飛んだ発想はしてないほうだと思ってるので、波長は合う。年齢は結構離れてるんですけど。たまに飲みにも行ってました。バレーの話もしましたね。マサの感覚的なものは優れてる。バレーボールに関してとか。「あ、そんなことにも気が付くんだ」っていう感覚は、私生活でも同じようにありました。すごく好青年で、一緒にいる人を不快にさせない。自分も信頼していろいろ話ができました。 ――サントリーに移籍してから起きた、東レの不祥事(部員の窃盗事件)について。 すごく悲しいというのがまずありました。部の存続がすごく心配だった。自分なりにできることはなんだろうと思って、東レで一緒にやってた人にはメールを入れたり。三島でやった試合とか、ボールを投げ込むじゃないですか。社員の方もいらっしゃったので、そちらにメッセージを届けたかったという意味も込めて。裏切り者のボールなんかいらないかなと思いつつ。自分にできることはだいぶ限られてました。東レでしてもらった、「こんなことしてくれるいい会社だよ」って、風評被害を食い止めるそういう活動くらいしかできなかったですけど。とにかく心配でした。残ってる人たちの頑張りで、なんとか部も存続できて、本当に良かったです。 ――次の年に東レが優勝して、サントリーが優勝できなかったことはともかくとして、嬉しかったですか? 僕が内定の時に入れ替え戦行って、次の年一年目で優勝したんです。何かあったとき絶対優勝するっていうのは、そういうのを跳ね返す力を持ってる。不祥事がおきて、2-3年くらいで絶対優勝するっていうのは思ってたんで、おめでとうと。ただ、僕らは戦ってるんで、優勝した瞬間のその時は思わなかったけど、リーグ戦が終わって気持ちが落ち着いたときに、何人かにおめでとうっていうのは送りました。 ――出場回数が減っていく中で不安はありましたか。 不安というか悔しさはありましたけど、これもいつなのか3年前…例えば今山本湧とか若い世代が出て、彼らが出て試合に勝ったりすれば本当だったら悔しくて…変な話こいつがミスったら俺が出れるって若いときだったら思うんですけど、それがなんか自然となくなってきてて、「練習したことが出せてよかったな」と、いうそういう気持ちが芽生えてきちゃったんですよね。そのへんからはちょっとずつ頭が指導者寄りになってきちゃってるのかなと。そういうのを行ったり来たりしながら変わりましたね。複雑なんですけど。 東レに戻ったときはコーチ兼任というお話だったので、自分のプレーが片手間になることを受け止めたうえで行かないと失礼になると思ったんで、そこからの感情というのは悔しいというよりも「藤井とかがどうやって試合で頑張れるかなあ」とか、今だったら新人の酒井とか。そういう子たちがどうやって成長していけるかっていうのを考えていました。そういうのもメインに東レにきたんで、試合に出れなくて悔しいっていうのはそんなに思ってはいけないと思った。コーチ兼任って、なにが正解かわからないんですけど。チームによって選手メインでやってっていう場合もあるし。自分は変な感情を絶対出しちゃいけない。出れなくてへこんでるのを、後輩に見せて気を使わせるのはだめ。そういう考えでした。 ――サントリーで控えだった時に、東レに戻る気は。 なかったです。サントリーさんにお世話になって申し訳なかったのは、最後の年に社員にしていただいたんですよ。ほんとに感謝しかないです。どれだけの方が自分のために動いてくれたのかとか。だから東レに戻るという決断をするのも相当難しかった。もちろん5年間やらせてもらって、社員にしてもらって、年数はサントリーのほうが短いですけど、すごく愛情をもって接してくれた。でも、どうしても東レに育ててもらって、どこかでやっぱ後ろめたいなとか。でも、「戻りたい」というのは、まったく東レのほうから話をいただくまではなかったんです。戻りたいって思っちゃいけない。そんなのおこがましいし、出てったからにはサントリーで(出番が)終わったとしてもしかたない・・・という頭でいました。サントリー社員にしてもらうってなったときにはすごくうれしかったですし。ありがたいなあって。本当に感謝ですね。 でも、東レから「戻ってこないか」と言われたときに、その気持ちに蓋をしてたから。恩返しできるチャンスをいただいたというほうが強くなってしまって。すごい難しかったですね。もちろん家族もいますから。東レに帰ってきても、ずっといられる保証はないわけですよ。サントリー行ったときみたいな、またああいう気持ちになるのかなとか。でも、東レはもともといたチームで、サントリーは初めて行ったチームだから。もとから勝手に(東レを)信頼はしちゃってて。この先どうなるかわからないですけど。 家族は最初はだめでした(笑)。「社員にしてもらったのになんで」っていうのもあった。最終的には理解してもらいました。まあ、普通そういう気持ちになるのは正しい。僕は贅沢な悩みを常に持たせてもらっています。サントリーに行くときも東レに戻るときも。そういう選べる立場にしてもらったんだけど、その時にたくさんの人を裏切ってしまったのが、…辛い。その分は、常に恩返しという気持ちを忘れないようにするしか僕はできないです。 できるだけビール飲むのもサントリーのやつにするとか。売り上げの面で貢献するのも一つの形かなって。 ――コーチの資格の取得はいつごろされたんですか。 サントリーの時にいきましたね。5-6年前ですかね。

【関連記事】