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「馬をやらなければ!」突然舞い降りたお告げからNPO法人を設立

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netkeiba.com

「馬をやらなければならない!」と突然天からの啓示を受けたかのように、馬に関わり始めた宮崎さんは、そのひらめきのもと、馬を飼うにはどうしたら良いのかを模索し、幡多農業高校馬術部でボランティアをしながら馬に乗る生活が続いていた。そしてついに愛馬となる馬に出会った。 「高知競馬で走っていて、乗馬もできる馬ということでした」  中央もそうだが、地方競馬から競走馬登録を抹消された後の行き先が乗馬となっていても、そのすべてが乗馬になれるわけではない。私の引き取った馬もそうだったが、引退後は食肉となるべく畜産業者へと売り渡されるケースがほとんどというのが現実だ。生々しい話になるが、肉の値段というのもその時々で変動しており、引退した馬を引き取りたいと申し出ると、無償で譲ってくれる場合もあるが、たいていはその時の肉の値段かそれプラスの数字を提示される。宮崎さんも、当時の肉値を提示され、かなり安い金額だったこともあり、すぐに購入を決断した。 「でも馬を飼う施設がないとだめじゃないですか。放牧場と厩舎を作って、そばには小さな家を建てて自分が休憩をしながら馬に乗れるようにしました」  準備が整いやって来たのが、マルタカコマンダーだった。その馬には、幡多農業高校の馬術部でよく乗っていたダディーの名前を付け、ダディー牧場という看板も作った。こうして宮崎さんは初めて愛馬を手元に置いて、一緒に生活をするようになった。  マルタカコマンダーは、父がコマンダーインチーフ、母がハイセイコーの娘のチャイナオーヒメという血統だ。2002年4月3日に北海道門別町(現・日高町)の広富牧場で生まれて、高知競馬において2005年から2006年まで約2年間の競走馬生活を送り、26戦1勝の成績で引退した。 「成績もあまり良くなくて競走馬としては劣等生でしたけど、素直で賢くて小さい子供も乗れます。馬の動かし方がわからない乗馬経験がない人を乗せられるように、言葉で教えたんですよ。行けとか止まれ、回れとか、左、右とか(笑)。走るのは遅かったかもしれませんけど、私たちみたいな素人を楽しませてくれるという意味では、もう十分な存在ですよね。でも、そういう馬たちが、殺されているのだと思います」 「そういう馬たちが殺されている」これが馬の置かれた厳しい現実だ。乗馬やホースセラピーの現場では、ダディーのような性格の馬が必要とされているはずだ。引退馬支援が認知されつつある日本においても、セカンドキャリアの道や馬の受け皿はまだ豊富ではない。ましてや毎年7000頭前後、サラブレッドが生産されていることを考えると、すべての馬たちの命を繋ぐのは不可能だ。よって馬それぞれが持つ可能性を試される機会もないまま、馬たちはその生涯を終えることになるのだ。ダディーのように、初心者が乗馬や馬とのふれあいを楽しめる資質のある馬が、たくさん見逃されて命を落としている。宮崎さんと話をしていて、馬たちの置かれた現実が改めて胸に重くのしかかってきた。  ダディー1頭から始まった牧場に、アパルーサやポニーが加わり、馬は3頭になった。  「近くの道の駅でイベントがあった時に連れて行って、子供を乗せたりしました。あと牧場が国道に面しているので、乗馬していたら『すごいね』と皆が見にくるわけですよ。乗りたいという子供たちには、どんな感触かを知ってもらうのに乗せてあげていました」  だが馬の飼育には、飼い葉代や敷料など経費がかかる。 「それで会費制にしようと思って、馬に乗りたい人を募ったら10人くらい集まったんです。それで飼い葉代くらいは出るようになりました。そこで自分が住んでいる小さい家をクラブハウスにして、コーヒーを飲んで雑談して、じゃあ今から馬に乗ろうかみたいな感じでしたね。手入れをしながら、遊びながら、伸びたたてがみや尻尾の毛をカットしてストラップを作って売ったりとかね。地元の近隣のイベントに馬を連れていって人を乗せるということもし始めました」  宮崎さんの言葉を借りれば「半分は趣味」でやっていた牧場だったが、やがて養老牧場としてNPO法人を立ち上げるまでになる。 「どこそこの馬が虐待されているとか、可哀想な状況にあるとか、いろいろ情報が入ってくるんですよね。何とかしてあげたくても、費用がかかりますしね。どうしたら馬たちを助けてあげられるのかなと考えて、NPO法人にしようと思い立ちました。耳鼻科医の主人に理事長になってもらい、副理事が私で、あとは乗馬に来ているメンバーさんたちとともに立ち上げました」  こうして2011年3月28日に「NPO法人あしずりダディー牧場 命の会」が設立された。そんなある日、山陽地方のある乗馬クラブで仕事をしていた人から、相談の電話がかかってきた。内容は乗馬として働けなくなりそうな馬がいて、クラブから出されそうになっているというもので、何とか預かってほしいというものだった。あしずりダディー牧場にとっては初めて預かる馬だったこともあり、預託料は低めに設定した。 「(預託料については)私が甘いのかもしれませんが、その時は気持ちが盛り上がるというか嬉しかったですし、厩舎もあいていたので受けますよと返事をしました」  それが預託馬第1号となったカモファストだった。 「それと前後して、引退馬協会さんからオリジナルステップを預かってほしいということで話が来ました。もし気性が荒かったら怖いなとも考えましたが、当時のサラブレッドの最多勝利記録(45勝)を達成した馬でしたし、今後を考えると引退馬協会さんからもアドバイスも頂ければと思いましたので、オリジナルステップのお話もお受けすることになりました」  これを境に、あしずりダディー牧場に馬が集まってくるようになっていった。 (つづく) (取材・文=佐々木祥恵)

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