日本独特の「取次」が経営する本のホテルと“喫茶店”
染谷:入社当時は物流の配属で、肉体労働的な厳しさに日々、直面していました。その代わり土日は音楽活動に没頭して、CDを作ったり、ライブをやったりしていました。日曜日に長野でライブをやって、ギターを抱えて夜行バスに乗って、そのまま持って出社する、みたいなことをやっていたんです。 そこは、ビバサラリーマンですね。 ●「君が土日にやっていることが仕事になりそうだよ」 染谷:当時は生意気にも会社の業務は単調だと思っていて、土日で自分がやりたいことをやって、くすぶりを発散させていたのですが、そんなことを6年ぐらい続けるうちに、仕事も音楽も行き詰まった感が増してきて、だったら会社をいったん辞めようと思って、退職届を上司に出したんです。 ところが、それが社内で新規事業の構想が出てきたタイミングで、上司から「お前が土日でやっているようなことを、メインでできるようになるかもしれないから、転職する気でそっちに行ったら?」と、言葉をかけてもらいました。当時、私は何も考えてない、情けないやつだったので、「じゃあ、そうします」みたいな感じで、退職届をすごすごと取り下げて……。 青春小説みたい。というか、日販っていい会社ですね。 染谷:懐が深いです。入社から最初の6年間、私は本当に1円も生み出さない社員で、振り返ると恥ずかしい限りです。でも、新規事業に関わる中で、ようやく自分の役回り、責任に自覚が出てくるようになりました。 それで、静岡の物件を機会に、あこがれの遠山さんに仕事をお願いした、という流れだったんですね。 染谷:はい、最初はスープストックトーキョーの新業態でお願いできないか、みたいなご相談をしたのですが、「それでは面白くないから、新しい事業をつくっていこう」というレスポンスを遠山さんからいただき、そこからぐーっと話が転がって、「文喫」の根っことなるアイデアができていったんです。ディスカッションをする中で、遠山さんが「漫画喫茶を『漫喫』と言うなら、文化を喫するのは『文喫』だよね」ということをぽろっとおっしゃって、「あ、そこかも!?」と。 漫画喫茶は例えば90分500円というような、時間・空間の区分所有に対する課金モデルです。本にもそれが適用できるんじゃないか、ということですね。 染谷:いってしまえば簡単ですが、本にとって、そこはなかなかの盲点でした。ただ、静岡の物件は最終的に条件が整わず、遠山さんも私もいったん「文喫」のプロジェクトから外れました。そうこうしているうちに、今度は日販の営業から、六本木の青山ブックセンターが閉店するらしいから、その跡地で何かできないか、という話が来ました。ここで眠っていたあの企画をもう1回考え直そう、ということになり、「文喫 六本木」ができていったんです。 六本木交差点の青山ブックセンターといえば、昭和時代を過ごした書店のオールドファンには、本当に思い入れの深いお店で、あそこに行けば最先端の面白い本にいっぱい触れることができて、あと、深夜にコーヒーが飲めるところも最高でした。あのビルは不動産としては日販の持ち物だったのですか。 染谷:いえ、ビルは別の所有者さんのものです。 そうなんですね。文喫の「入場料」は1日1650円(税込み)。しかし漫画喫茶みたいに、滞在する時間にお金を払って、さらに本を買ったり、読んだりする人がいるのでしょうか。 染谷:どこで一番利益が生み出せるかといえば、それは入場料で、その利益は全体の7割を占めています。私たちの業界は、本を売るだけではなかなか成り立たない時代に入っています。本を大切にしながら、そこで過ごす時間や体験など、本の周りで生まれるものでビジネスを成り立たせて、その上で価値のある本を提案したり、売ったりしていく。これからは、その部分の開拓が必須だと考えています。 文喫は、2021年に福岡で「文喫 福岡天神」、今年は名古屋で「文喫 栄」と展開されています。 染谷:4月にオープンした名古屋の栄店は、六本木店のように1日1650円という入場料設定ではなく、時間課金制の料金体系をとっています。予想客数と滞在時間は事前に試算していましたが、実際はそこよりもちょっとアンダーになっていて、その代わり、本、雑貨が予想以上に売れています。 収益構造が六本木店とは、また違うんですね。 染谷:想定上の事業計画と現実は、やっぱりギャップがありますね。 「文喫」では、自宅でも職場でも、サードプレイスでもない本空間で、読書や考え事に没頭することができます。ゼロからこのモデルを生み出すのは相当なジャンプだと思います。 染谷:はい、本の売り方、読み方を大きく変える大ジャンプでした。そこは日販の信用力をもとに、無鉄砲に近いような挑戦をさせてもらったと思っています。 (後編「本はワインのような商品になっていくのかもしれない」に続きます)
清野 由美