日本独特の「取次」が経営する本のホテルと“喫茶店”
染谷:まさしく、それが私たちの業界の大きな課題になっています。ただ、そのような岩でも、脇に小石を挟んで押してみたら、ごろっと動いた、みたいなことって、あるじゃないですか。「ひらく」は日販の幹とはちょっと違った、オルタナティブな方向からのテコ入れになります。 従来の取次のビジネスモデルとは違うアプローチなんですね。 染谷:はい。「自社で投資して、経営も行う」という直営モデルと、「クライアントからお仕事をいただく」という、いわゆるクライアントワークの2方向で事業を行っています。 御社では「箱根本箱」を“ブックオーベルジュ”と呼んでおられます。館内の部屋数は18室で、すべての部屋が温泉露天風呂付き。食事は神奈川、静岡産の食材を生かした“箱根のローカルガストロノミー”と、それに合わせたワインのセレクション。圧巻は、大きな吹き抜けの壁一面に本が並ぶインテリア。いずれもメディア映えするもので、そこはずいぶん狙っていますね。 染谷:「箱根本箱」の建物は、もとは1984年にオープンした日販の保養施設です。建物はちゃんとしているのですが、ただオープンから30年以上ともなると、内装もコンセプトも古びて、稼働率も下がり、保養所としてはもう役目が終わっている。とはいえ立派なものだし……「どうしよう?」みたいな状況があったんですね。 立地は箱根登山鉄道「強羅」駅から箱根登山ケーブルカーに乗り換えて、「中強羅」駅から歩いて4分という、非常に箱根らしさを感じる環境にありますね。 染谷:だとしたら、建物を今の時代にアップデートして、それを当社の新規事業の象徴的なプロジェクトにしよう、と。 「箱根本箱」のデザインには斬新だな、と驚くと同時に、「本当に本で集客ができるのだろうか?」という疑問も持ちました。 染谷:「本」と「居心地」を最上位に置いて、部屋数を18室に絞り、エクスクルーシブなホテルに転換して、集客、稼働する。従来、BtoBである私たちにとって、BtoCでいくことは、1つのチャレンジでしたが、現在、お客さまの単価は1人4万5000円ぐらいで、稼働率は約80~90%で安定して推移しています。 え、それは意外なほど高い稼働率ですね。決して安い価格帯ではないのに、それで稼働率90%ということは、常時満室といっていいぐらいですか。 染谷:はい、そうなります。 宿泊客は日本人がメインでしょうか。 染谷:コロナ自粛が本格的に明けて以降は、約3割がインバウンドのお客さまです。 売り上げの構成比が気になります。本の売り上げは大きいのでしょうか。 染谷:館内にある1万2000冊の本は、新刊、古書、洋書からセレクトして、お客さまはそれらを自由に読めて、お買い上げいただくことができます。ただ売り上げ構成としては、やはり宿泊と飲食がメインで、本や雑貨の比率は小さいです。ただし、体験の比重としては「読書」の占める割合は非常に大きいと考えています。 収益の柱はホテル業であり、ブックホテルという特徴を打ち出すことで、アッパーマス以上の層に来館の動機づけを行っている、ということですね。 染谷:今、箱根はアフターコロナで観光客が大きく戻っていて、周辺のホテルの稼働率も高くなっています。実際、アクセスの拠点となる小田原駅で降りると、外国人観光客でいっぱいです。競合の中で特色を打ち出していくことは大事なことと考えています。 会社の保養所のリノベーションなら、外資でも、国内企業でも、既存のホテルブランドを運営に持ってくる方が、事業として採算を描きやすくはありませんでしたか。 染谷:そこは確かにそうです。会社の単純な資産活用と、ROIなど投資比率で考えれば、すでに名前を知られたホテルブランドを導入する方が効率はいいかもしれません。でも、私たちは自分たちで独自にソフトを開拓する道を選びました。書店来客数や売り上げ減少に、取次の立場から向き合ってきた新規事業として、単にホテルにつくりかえるのではなく、多くの生活者に新しい「本との関係性」を見つけていただける場所をつくる方が、望ましい選択になると考えたからです。 「本」という文化財を扱ってきた会社として、数値化できないところに注力するというのであれば、「箱根本箱」は一種の文化投資とも取れます。ちょっと振り返りますと、開業2年後にコロナ禍に見舞われましたが、そこはいかがでしたか。