Yahoo!ニュース

IDでもっと便利に新規取得

ログイン

『上海フリータクシー』成長と矛盾が生み出した、大きな国の小さな個人の物語

配信

HONZ

スーパーパワーの1つであり、世界でも存在感を増していく中国。しかしこの国の輪郭をつかむことは難しい。中国国家が語る中国と、中国人が語る中国との間には、同じ国とは思えないくらいの大きな差異が存在するはずだ。 しかしその差異をあぶり出すには、さらなる困難が伴う。ほかの国であればインターネット上の声を拾っていけば容易なはずだが、そこにはグレートファイアウォールと呼ばれる、中国のネット検閲システムの高い壁がそびえ立つ。 本書は、この高き壁を突破しようと試みた著者の物語であり、その過程で出会った人々──個人的挑戦に取り組み、中国の成長と矛盾が生み出す不確かな転換期を乗り切ろうとする人々の、つくろわぬ物語である。 突破する方法は、意外なほど身近なところにあった。米国人ジャーナリストである著者は、過去に経験したタクシードライバーの経歴を活用しようと思い立つ。人はタクシーに乗ると、それだけで饒舌(じょうぜつ)になるものだ。本来は公には語れないような個人の主義や主張を惜しみなく披露してくれると考えたのである。インタビューの相手を誘い込むための作戦も用意した。それが「話を聞かせてくれれば、料金はタダ」というシステム。こうして物語は走り出すのだ。 2014年からの数年間、著者は大勢の乗客たち──工場労働者から農夫、銀行家、人権派弁護士までを乗せて、中国中を走り回った。そしてその後も乗客たちとつながり続け、普通の人々が何を欲しがっているのか、自分たちの国、そしてそれより広い外の世界をどのように見ているのかを突き止めていく。 これら個人の物語を躍動感あふれるものにしているのは、時代の転換点という立ち位置である。親世代と子世代、都市と地方、収入の多寡など種々の格差が、変化のスピード感ゆえに同じ空間に同居しているため、さまざまなドラマが生み出される。 前半は個人の物語を通して、中国語で資質(スーチー)と呼ばれる道徳観のようなものを可視化することに主眼が置かれる。それは、チャイニーズドリームの暗黒面として誰の周囲にもまとわりつくものの影響を強く受ける。監視や検閲システムから経済至上主義、強制中絶や人権問題まで。 一方、後半に進むにつれて、中国人たちの視線は世界へ向いていく。だが青かったはずの隣の芝生が変わり果ててゆく様に、困惑を隠しきれない。 ある人物は、自由と民主主義を求めて米国へ飛び立つものの、やがてトランプ大統領の就任をきっかけに、米国の民主主義に疑問を抱き始める。中国へ戻ってきた彼女は、こう語る。「中国の制度だって何から何まで悪いわけじゃないと思うんです」。 米国の民主主義こそが窮屈な社会を選択し、そして中国の独裁は少なくとも実利的な自由は生み出しているというわけだ。まさに「自由の中の不自由」と「不自由の中の自由」のどちらを選ぶかという究極の選択といえるだろう。 全編を通して、満たされたからこそ感じる空虚さが丁寧に描かれており、登場する一人ひとりの人物へ強く感情移入できる一冊だ。報道などを通じてでは決して知ることのできない、新しい中国の姿を見ることができるだろう。 ※週刊東洋経済 2020年6月27日号

内藤 順

【関連記事】

最終更新:
HONZ