あらゆる困難を鎮めるために演劇はある 『子午線の祀り』成河インタビュー【後編】
『子午線の祀り』は、こんなモノローグで始まる。 「晴れた夜空を見上げると、無数の星々をちりばめた真暗な天球が、あなたを中心に広々とドームのようにひろがっている。ドームのような天球の半径は無限に大きく、あなたに見えるどの星までの距離よりも天球の半径は大きい。 地球の中心から延びる一本の直線が、地表の一点に立って空を見上げるあなたの足の裏から頭へ突きぬけてどこまでもどこまでも延びて行き、無限のかなたで天球を貫く一点、天の頂き、天頂。」 天からの視線で人間たちを見つめようとする作者・木下順二の壮大な発想に、まず度肝を抜かれるのだが、成河さんは、なんといっても「あなた」という言葉の選択に、圧倒されるという。 【全ての写真】『子午線の祀り』成河インタビュー ――義経は知盛を追いつめて勝利はするものの、天頂の一点からそれを見下ろせば、勝者と敗者などという小さな話ではないのですね。 どちらも敗者ですよ。この時代は、お互いの顔を見たこともないし、噂でしか相手のことを知らないから、戦うにしても、私怨じゃないんですよね。もっと異なる次元の何かがぶつかり合うわけで、俯瞰してみることで、それが浮かび上がってくる。義経は、戦さにおいては天才とか残虐とか、何かと常人離れしたところを強調されますが、追いつめられた人間は何でもする、と考えれば「そりゃそうするよね」と、その行動については理解できました。義経は、自分はいつ死んでもいいと思っているんです。勝つことでしか兄の頼朝とつながれないから、追いつめられれば、戦いのルールなんか無視して戦って、勝つ。するとまた追いつめられて、の繰り返し。知盛も義経もそんな断絶した世界に生きているわけですが、そこに超越的な天の視点の語りが入ることで、いつも頭の片隅にその視点が引っかかっている状態で演じることになるし、そう見えてくるところが素晴らしいと思います。 ――天頂から見下ろされる。これより上はないところからの視線の影響は絶大ですね。 しかも「あなたは」ときますからね。「私たち」でも「わが国」でも「僕たち演劇人」でもない。そんな生ぬるい話をしているんじゃなくて、他の誰でもない、「あなたのことを考えてください」と名指しされてるんですよ。「あなたの足の裏から頭へ突きぬけて――」。自分の足の裏に感じる地球への重力を考えろって、いや本気だなぁ! と思いますね。とんでもない作品ですよ。萬斎さんもそのことを伝え、多くの人に観てもらうためにはどうすればいいかということを、いろいろ試行錯誤していらっしゃいます。