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なぜ男は、卓球全日本チャンピオンから餃子屋になったのか<野平直孝・前編>

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スポーツ選手には、いつか引退のときが訪れる。 20代で退く者がいれば、40歳近くまで現役を全うする息が長い選手もいるだろう。そんな彼らに共通して言えることは、現役生活より“第2の人生”のほうが長いという現実だ。 「強くなれば勝てる卓球、強くても潰れてしまうラーメン屋」餃子屋オープンの経緯を語る野平直孝 引退後も何らかの形で競技に携わり、ジャンルの底上げに関わっていくのか。それとも、スパッと別の世界で生きていくと決意するのか。 今回は、後者の代表的な元卓球選手に話を伺った。 現在は西国分寺で「餃子屋とんぼ」を営んでいる野平直孝である。現在43歳。 選んだ道は、卓球と何が違い、何か生かせるものはあったのだろうか。

大学時代から「こんな雰囲気のお店を出したい」と考えていた

輝かしい卓球キャリアだ。 元全日本監督・野平孝雄を父に持つ野平は、両親の影響で8歳からラケットを握り始めた。中学では故・荻村伊智朗の指導を受け、そこからは東山高校→専修大学と卓球界の超名門で腕を磨くというエリートコース。1999年全日本選手権シングルベスト8、2000年全日本選手権ダブルス優勝という容易ではない結果も残している。 そんな彼が、なぜ飲食の世界に飛び込むことになったのか。 「中学生の頃から自分でチャーハンを作ったり、食に興味がありました。あと、仕事が忙しかった父は家族全員が揃ったとき、いつも外食に連れて行ってくれたんです。父は『ラーメンを食べるならあのお店』『焼き肉ならこのお店』と、こだわりのある人でした。その影響もあって、大学の頃には『現役を引退したらお店を持とう』という明確な目標がありました。練習の合間に、趣味の食べ歩きをしながら『自分がラーメン屋をやるならこういう味にするな』『こういう雰囲気のお店にしたい』って、色々考えていました(笑)」

「ここでしか生きられない」ことへの憧れ

父親からだけではない。 祖父からの影響も、“第2の人生”の方向を定めるきっかけになっている。 「母方のおじいちゃんが足袋とか靴下を売るお店を京都でやっていて、商売をしている姿が大好きだったんです。京都に行くと朝から晩までずっとそのお店にいるほどでした。色んな人と接する客商売への漠然とした憧れがありました」 「僕、どっちかって言うと現役時代は器用なタイプだったと思うんです。『俺にはこれしかない』っていう卓球じゃないし、何でもそこそこにできる選手。だから、『ここでしか生きられない』っていう人に憧れてた部分がありました。それで、コツコツやってるラーメン屋さんの店主だったり、京都のおじいちゃんがカッコ良く映った」

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