非凡な人生に隠れたカリスマ性と品格。ドナテラ・ヴェルサーチェの素顔
ジャンニ時代から秀でていたドナテラのクリエイション
「ヴェルサーチェ」と聞いて何が頭に浮かぶだろうか? プリント柄ドレスを着たスーパーモデル、メドゥーサのモチーフ、派手な’90年代、ロココ的な奇抜さ、イタリアらしい華やかさ。そして、1997年に自宅前で殺されたジャンニ・ヴェルサーチェのこと。次に頭をよぎるのは、ジャンニの妹で長年ブランドのミューズとして兄に協力し、兄が殺害されるやいなや、第一線に引きずり出されたドナテラのことだろう。ドナテラのストーリーはあまりに非現実的なので、延々と語りたくなってしまうのが難点だ。やり過ぎなほどに豪華なファッション、壮絶な兄の死、当時パパラッチに報道された過激な振る舞いやゴシップにも目がいきがちかもしれない。 【写真】世界を動かすモードの力――歴史を変えた衝撃的なクチュールコレクション
しかし、忘れてはいけない。彼女が幼少期から長年、兄のクリエイションの一端を担い、’78年にブランドが創設されたときには、23歳の若さで兄の傍らに立ち新聞に写り込んでいたことを。ジャンニの時代、すでにドナテラはミューズだった。いくつかの有名ブランドで修業を重ねたジャンニがミラノで自身のブランドを立ち上げたとき、運営と会計は弟のサント、フィレンツェ大学で言語学を学んでいたドナテラは大学をやめて兄のアドバイザー兼協力者になった。月日とともに任される仕事の量も増え、ジャンニがクロッキーをし、ドナテラがデザイン画を仕上げるようになる。贅沢なシルク製品やタイトなドレスが人気を博し、ブランドは成長を続けていった。
「ヴェルサーチェ」の描く女性像はセクシーで自信たっぷり、かつパワフル。モデルたちが映えるように、ドナテラはあらゆる写真撮影およびキャンペーンに参加する。ヘルムート・ニュートン、アーヴィング・ペン、ハーブ・リッツ、スティーブン・マイゼル、リチャード・アヴェドンといったフォトグラファーによる広告写真の撮影も監督した。また、ネットワーク作りの腕も一流だった。ジャンニはどちらかというとブルジョアやインテリ、貴族的な人々との交流を好んだのに対し、ドナテラはVIPが集うナイトパーティに参加し、シンディ・クロフォードやナオミ・キャンベルなど’80年代から’90年代に一世を風靡した一流業界人との交流を深めた。 その一方で、アトリエのチーフとも近しい関係を築き、ジャンニとチーフをつなぐ役目を果たしていた。ドナテラがあまりに意見を言うものだから、ここのクチュリエは誰なんだ、と兄に怒鳴られたこともあったという。お飾りのミューズとは違うのだ。