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GTSはグリルレス、GT-Rはグリル付き。R32GT-Rのデザイナーが語ったその理由とは?|5世代のスカイライン デザインに携わった男の物語 Vol.2

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5世代のスカイライン デザインに携わった男の物語 Vol.2 R31スカイラインの開発は、主査だった櫻井眞一郎が病床に伏し、1984年12月に伊藤修令へバトンタッチされた。西泉は最初のスケッチからプロジェクトに携わり、フルサイズの案を描いていた。 「鉄仮面」の名で人気を集めたグリルレスのR30と鉄仮面とは逆にグリル付きとされたR32GT-R。【写真4 枚】  A案は島崎敏行、B案は西泉だったが、西泉は敗れ島崎のA案が4ドアモデルに採用された。同時に2ドアクーペのデザインはスカイラインではない別のチームで始まっていた。  それはF31レパードのチームだった。スカイライン2ドアはレパードとの双子車の計画になっていたからだ。途中でコストアップになることを嫌って、スカイラインベースに戻すことになった。  渡辺のサイドビュースケッチと西泉のフロント/リアスケッチを西泉が形にしていった。2ドアクーペはセダンとは別の顔になった。  しかし、R31スカイラインは発表直後から自動車評論家によって、こっぴどく批判を浴びた。主管の伊藤はその批判にじっと耐えた。「この作品は入院した櫻井眞一郎さんの後を引き継いだだけなんです」とは口が裂けても言えなかった。  伊藤はマイナーチェンジで必死に挽回をはかった。1986年5月に2ドアスポーツクーペがデビュー。さらに1987年8月に2ドアスポーツクーペGTS‐Rという「R」が車名に入ったモデルが追加された。エンジンはRB20DET‐R型。その顔には鉄仮面のイメージが重なる。フロントエンドがラジエターグリルまでやや食い込んだデザインを採用した。  GTS-Rは、最初、GT‐R復活という話もあったが、伊藤はGT‐Rの復活は時期尚早と考えた。  このマイナーチェンジで当初ハイソカーのイメージが先行した7代目スカイラインがスポーティーなものになった。西泉と渡辺のデザインでようやくスポーティーなキャラクターになったのだ。  R32スカイラインの話に移ろう。  R32スカイラインは主管伊藤修令の作品である。最初からデザインは2つのチームがあった。 「厚木のNTC(日産テクニカルセンター)内のデザイングループとは別に、若手グループを集めたデザインルームを銀座に設けた。都会的かつ自由な雰囲気のなかでデザインに打ち込めるようにし、NTC内デザイングループと競わせる方策をとった」と伊藤主管は語っている。  A案は西川暉一チーム、B案は松宮修一チーム。西泉は最初スカイラインとは別のチームにいたが1986年9月、途中参加で、1/4モデルから1/1モデルにする時に西川チームに合流した。 「西川チームは若手デザイナー田口正人君の案の2ドアがフルサイズ化され、同時進行で私が4ドアをデザインしていきました。  松宮チームのフルサイズモデルは西窪淳一君の案。松宮さんらしい表情豊かな面が特徴です。  フレッシュな田口案に対し、B案は手なれた感じのクルマっぽい魅力たっぷりのオトナのクルマという感じでした。結局R32スカイラインはA案に決まりました。若手デザイナーの田口君はその後、ローレル、パルサー、エルグランドなどで大活躍します。  A案に決まるとすぐにそれをベースにGT‐Rを始めました。田口君と私は決定案の生産モデルを進めなければならず、西窪淳一君がGT‐Rを担当することになりました。スケッチは3人で描いていました」  西泉は「スカイラインGT‐Rをどうしてもやりたい」と前から思っていた。西泉はフロントのオーバーフェンダーを大胆なものにしたかった。R32GT‐RにフェラーリF40のようなオーバーフェンダーから空気を抜けるようなものを採用しようとしたが、松宮は基準車のイメージを守りデザインキャラクターを発展させるデザインをとった。この時点ではR32 GT‐Rはグリルレスだった。  その頃田口と西窪が途中で他のグループに変わり、西泉だけが残った。   レーシーなイメージを入れるためには、R30(鉄仮面)の流れを組んだグリルレスデザインを採用することは当然だと思われた。しかし、西泉は今回は逆に「グリル付き」を採用した。それはレースに強い西泉ならでは決断だった。グループAレースはノーマル車の外観に手を加えられないので、グリルを付けておけば、レース部門がどういうふうにも加工できる。 西泉はいつも鉄仮面をデザインをやりたいわけではなかった。レースで勝つことを優先すると必然的に「グリル付き」になった。 「どうしても鉄仮面にしたかったのではなく、レースでぜひ勝ってもらいたかったのでこのデザインにしました」  GT‐Rの16年ぶりの復活に際して、社内の車好きを何人か呼んで意見を聞いた。「GT‐Rはこれでいいのか」というのがテーマだった。「羊の皮を被った狼」(おとなしいスタイルに高性能を秘める)のスタイルを支持する人が大半だったが、レーシーなGT‐Rらしさが足りないという意見も多かった。フードに穴を開けて熱を排出するダクトをトライしたが、思うほど空気は流れなく水は入るし、大きな効果は得られないことがわかった。だからあえてボンネットは加工をしなかった。  リアウイングはトラクションのためにダウンフォースがどれだけ欲しいかで決めていった。目標性能達成のためのデザインだった。フロントスポイラーも熱性能やリフトのためにデザインを何度も修正している。  ここからは少し脱線させ、西泉のプライベートな車の話をしてみたい。 「入社して初めて買った車は2代目シルビア。鶴見工場にはシルビアに搭載予定だった(開発中止)ロータリーエンジンのおむすび(ピストン)の残骸がありました。  2台目はS130Zです。3台目は結婚した頃で、オースターJXを購入。デザインは気に入っていた。ホイールをインチアップ(15インチ)したらかっこよかった。4台目はZ31フェアレディZ。  少し飛んで7台目はR32の4ドアタイプM。今でも新車で欲しい車です」 日産社内でイタリア研究会にも属していた西泉は、1998年9月13日のF1イタリアGPを観戦している。レース後ティフォシ(フェラーリの熱狂的なファン)がコースになだれ込んできたのは印象的な出来事だった。 *文中敬称略 text:Nostalgic Hero  Kouhju Tsuji/編集部  辻 好樹  次回「5世代のスカイライン デザインに携わった男の物語 Vol.3」へ続く

Nosweb 編集部

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