【長嶋茂雄は何がすごかったのか?】『プロ野球ニュース』の名司会者・佐々木信也が語る"ミスタープロ野球"<後編>
佐々木 ピッチャーゴロに打ち取られても、一塁まで全力で走るのが巨人。その中でも、一生懸命なのが長嶋と王でした。普通のバッターなら、打球がピッチャーのグラブにおさまった時点で力が抜けちゃう。でも、長嶋と王は全力なんですよ。あれは見ていても気持ちがよかったですね。 ――1960年代は日本の高度成長期でした。週休二日制など考えられない時代に、長嶋さんや王さんが全力でプレーする姿を見て、多くの人が励まされたんでしょうね。 佐々木 練習に対する態度が素晴らしかった。ベンチの前でノックを受けている時も一生懸命。練習でも手を抜かない。ボールに食らいつく姿勢がすごかった。 長嶋が春のキャンプでしていた練習は印象に残っています。宮崎キャンプに行ったら、長嶋がグラウンドにいないんです。スタッフが「Bグラウンドにいますよ」と言うから移動してみると、そこで変わった練習をしていました。 ――どんな練習だったんでしょうか。 佐々木 陸上競技場にネットを張ってバッティング練習をしているんだけど、マネージャーが長嶋の頭上に高く投げ上げたボールが落ちるところを打っている。僕は心配になって「シゲ、何やってるんだ?」と聞くと、「今年はカネさんのカーブを打ちたいから」と言うんです。 ――"カネさん"とは長嶋さんがプロデビュー戦で4打席連続三振を奪われた、400勝投手の金田正一さん(国鉄スワローズ)のことですね。 佐々木 長嶋は金田さんのストレートには対応できたけど、カーブが難しかったみたいで、それを攻略したかったんでしょうね。そんな練習を考えつくほど、金田さんのカーブの落差がすごかった。あの時の、長嶋の真剣な表情は忘れられません。 ――大学時代の長嶋さんを知る佐々木さんは、プロ入り後の変化をどう感じていましたか。 佐々木 プロに入って誰もが認めるスターになったわけですけど、礼儀正しかったですね。もうひとりのスターである王とは対照的な性格でね。 後楽園球場のベンチ裏に大広間があって、そこにチョコレートを置いておくと、6回か7回に王がやってきて「この時間に食べるチョコレートはうまいんですよ」と言いながら、強い話をしてくれるんです。長嶋は絶対にやってこない。長嶋は生真面目だったのか、集中していたのかわからないけど、そういうところもふたりは正反対でしたね。彼らの全盛期に、野球解説者としていい勉強をさせてもらいました。 ――佐々木さんから見て、長嶋さんのすごさとは何でしょうか。 佐々木 スイングの鋭さですね。キャンプ地でも遠征先でも、とにかくバット振るんです。畳がもうよれちゃって使えなくなるぐらいに。38歳で引退するまで、彼の衰えを感じたことはありません。ヨレヨレになる前にやめましたからね。 ――1950年代以降、アメリカのメジャーリーグと日本プロ野球が対戦する日米野球が頻繁に行われましたが、佐々木さんはメジャーと日本との実力差はどのように感じていましたか。