アントニオ猪木vsマサ斎藤「巌流島決戦」は「無観客試合」ではなかった! 「船頭さんに頼んで船を出してもらって……」プロレス史に残る名勝負の全舞台裏
真に歴史に残る死闘
(おお、これか……) 巌流島へと渡る港のお土産屋で、銘菓の「巌流焼」を見つけた。テレビ朝日からの賞金は固辞した猪木と斎藤だが、下関市が勝利者に巌流焼1年分(365個)、敗者に3ヵ月分(90個)を贈ると申し出ると、こちらは快く受け取った。島を案内するチラシには「アントニオ猪木も(中略)訪ねた決闘の聖地」とあった。島への定期船内では、次の放送がなされた。 「1987年10月4日に、アントニオ猪木とマサ斎藤の決闘もありました」 島には歴史を刻む大きな石板がある。「宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘」と大書された15行あとに、以下の文字も刻まれていた。 「昭和62年(一九八七)10月4日 巌流島いっぱいに篝火を炊きアントニオ猪木とマサ斎藤のプロレス『夜のデスマッチ』興行」 石板には、極めて大きく、下記のタイトルが刻字されていた。 「巌流島 決闘の地」 その後、巌流島では1991年12月に馳浩とタイガー・ジェット・シンが、猪木戦を賭けて闘った(馳の勝利)。この時は30人ほどのファンがかけつけ、追い出されることもなく至近距離で試合を観ている。2012年5月5日には、武蔵と小次郎の対決から400周年を記念してリングが組まれ、藤波、長州、初代タイガーマスクらが観客の前で激闘を展開した。今年の5月15日には、以下のようなニュースが報じられている。 「『決闘の聖地・巌流島でイベント開きたい』 格闘技や武道を応援して下関の経済活性化を目指そうと、下関市議会議員有志が『格闘技下関応援隊』を設立した」(毎日新聞・地方版/山口より) イベントにもファンにも先鞭を付けた、真に歴史に残る、猪木と斎藤の死闘だった。
瑞 佐富郎 プロレス&格闘技ライター。新著「アリは猪木戦の直前にプロレスラーと戦っていた! プロレス発掘秘史」(宝島社)が現在好評発売中。 デイリー新潮編集部
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