【アメフト】初の日本人NFL選手を目指す K佐藤敏基(1) 甲子園ボウルで味わった挫折
北米の4大プロスポーツの中で、唯一日本人選手がいないのがアメリカンフットボールのNFLだ。オフシーズンのメンバーとして名を連ね、夏季キャンプやプレシーズンマッチまで進んだ選手は過去にもいたが、シーズン開幕後もロースターに名を連ねた選手はいない。 そのNFLの牙城に迫っている日本人選手がいる。XリーグのIBMビッグブルーに所属するキッカー(K)佐藤敏基だ。
初めて蹴ったキックで決めた52ヤード
佐藤は1993年9月生まれの26歳。横浜市の出身で、幼少のころから中学生まではサッカー少年だった。アメリカンフットボールを始めたのは、早大高等学院に入ってから。体験入部で投げたボールに綺麗なスパイラルがかかったため、QBとなった。 「めちゃくちゃに下手なQBでしたね。練習では、必ず怒られていました」 高校2年生の3月に練習試合で左ひざを負傷。1年下に笹木雄太(早大→オール三菱)がいたために、エースの座を譲った。高3の8月にはフットボールができるようになったが、焦りから練習でパスを多投し過ぎて今度は右肩を痛めてしまう。 「高校の間はもうボール投げられないと医師に言われました」。 それでも自分に何かできることはないかと、模索した。9月に入って、高校最後の大会が始まり、練習では最後までグラウンドに残るようにしていた佐藤の目に入ったのはキッカーの練習だった。幼稚園の頃からほぼ10年続けてきたサッカーでは、キック力に自信を持っていた。 DB兼任だった正規キッカーが負傷して、キックができなくなった時、佐藤は「僕に蹴らせてください」と手を挙げた。 早大学院のアメフト部では、FGの練習でキッカーの蹴る距離は自己申告制だった。佐藤が申告したのはゴールから35ヤードの地点だ。エンドゾーンの10ヤードと、スナップされる距離の7ヤードを足せば52ヤード。 FGを始めて蹴った佐藤は、トップ級のキッカーでも入れるのが難しい距離を、あっさり決めた。高く長く飛んだボールはゴールポストを超えて、ビデオ撮影用のやぐらの上から2番目にぶち当たったという。日本の誇る長距離砲が誕生した瞬間だった。