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山田邦子はなぜ天下を取れたのか? きっかけとなった「大事件」、絶頂期に見せた「懐の深さ」

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活躍目覚ましい女性芸人の存在。しかし、1970年代までは夫婦漫才が主流で、女性だけで結成されたコンビやトリオは珍しかった。そのなか、1974年に海原千里・万里がアイドル的な人気を獲得して頭角を現した。一方で、テレビの世界では、バラエティーアイドルがコントを披露。1980年前後、視聴者参加型のバラエティー番組が続々と登場し、“女性で唯一天下を取ったお笑いタレント”とも評される山田邦子を輩出することになった。なぜ彼女はそこまで支持されたのか。女性芸人の系譜をたどる。(ライター・鈴木旭) 【画像】人気絶頂期「秘密の場所」でくつろぐ山田邦子さん“素顔”に密着した1995年当時の貴重な写真

初の女性漫才コンビ、海原お浜・小浜

現在活躍する女性芸人の系譜は大きく2つに分けられる。1つは正統派ともいえる寄席芸人、もう1つはテレビ開局後に登場したバラエティータレントの流れだ。 関西では、1920年代に夫婦漫才(めおとまんざい)コンビが複数活躍している。代表的なところでは、砂川捨丸・中村春代、ミスワカナ・玉松一郎などがいる。 夫婦漫才とは、読んで字のごとく「結婚した夫婦が披露する漫才」のこと。結成当初は未婚でも、自然と結婚に至るのが常だった。この流れは、平成の中頃まで続くことになる。 女性コンビで初めてしゃべくり漫才を披露したと言われているのが、1933年に結成した海原お浜・小浜(結成当時は、ハッピー姉妹)だ。親戚同士で組んだコンビだった。 ブレークのきっかけは、漫才作家・秋田實との出会いだった。秋田が書き下ろしたロマンスシリーズで好評を博し、その後の人気につながっていく。 1967年に上方漫才大賞、1975年に上方お笑い大賞の大賞を受賞するなど活躍。その後の女性漫才コンビの基礎を築いた。現在も活躍中の海原やすよ・ともこ(姉妹)は実の孫である。

音曲漫才で人気を博した内海桂子・好江

一方で、東京でも1930年代には夫婦漫才コンビが活躍していた。関西とは異なり、しゃべくり漫才ではなく音曲漫才が主流だった。 お笑いコンビ・ナイツの師匠として知られる内海桂子が舞台に上がったのは1938年のこと。それまで日本舞踊や三味線を習っていたが、夫婦漫才の高砂屋と志松の相方である雀家〆子の産休中の代役として呼ばれたのだ。 その後、10回以上のコンビ結成と解消を繰り返したが、最終的に一回り以上年齢の違う弟子・好江とのコンビ、内海桂子・好江になって落ち着いた。1950年のことだった。 三味線を用いた音曲漫才で人気を博し、1958年にはNHK新人漫才コンクールで優勝。以降は1961年の芸術祭奨励賞受賞をはじめ、1989年に紫綬褒章受章を受賞するなど、数々の賞を受賞している。 1997年に相方・好江が病死。コンビでの活動はできなくなったものの、桂子は97歳になった今でも舞台に上がっている。関東の女性芸人を支えただけでなく、寄席の文化を守り続けている貴重な存在となっている。

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