東大や京大卒でなくても、大企業のトップになれることを示した”努力の人”「カワサキモータースジャパン」 桐野英子社長に訊く
大企業の英断・実力主義のカワサキという企業
今回、昨年10月にカワサキ(カワサキモータースジャパン)初の女性社長に就任した桐野英子氏に、ロングインタビューを行った。カワサキモータースジャパンは、カワサキモータース製品の国内販売を行う企業である。 一番最初に、「なぜ、ご自分が社長に選ばれたと思いますか?」と桐野氏に聞いたところ、「分からない」と言う答えが返ってきた。 しかし、その口調は揺るぎない自信に満ち溢れていた。
「橋や飲み水を造る会社に行きたい」と、重工業への入社を決めた
1991年3月に東京外国語大学を卒業した桐野氏は、同年4月に川崎重工業株式会社に入社した。 もともと桐野氏は、バイクを造るために川崎重工に入社したわけではないという。大学時代にペルシャ語を学び、遊びに行った中東の国で、日本の企業が建設した橋を見て、「後進国に貢献できる仕事がしたい」と、川崎重工に就職した。 もちろん、「社長になりたい」とは、夢にも思っていなかった。
10年間の国内勤務の後、2001年フランス(カワサキモータース・フランス)に出向する。川崎重工のなかでも、平社員で女性の海外赴任は桐野氏が初めてで、異例の人事だったという。そして渡仏後、わずか3年で支社長に就任した。
手掛けたモデルを、次々と大ヒットさせる手腕
当時、フランスのカワサキは大赤字だった。桐野氏は市場を徹底的に分析し、「ヨーロッパ市場で足りなかったカワサキのバイク」を世に出そうと思った。それが、ヨーロッパ最大の販売台数を記録した大人気の大型バイク「Z1000」である。これにより、業績改善に大きく貢献した。
スーパーレディではなく、「与えられた仕事を“逃げずに”やってきた」
2009年に日本に戻り、今一番ブレイクしているバイク「Ninjya H2」の商品企画を担当することになる。 そして昨年(2021年)10月、桐野氏は「カワサキモータースジャパン」の代表取締役に就任した。入社後、30年で大企業のトップに上り詰めたのだ。
そんな桐野氏に、特別な才能がある人ですか? と桐野氏に聞いたところ、「私はスーパーレディでもなんでもありません。そのときに“やらなければならないこと”を、逃げずに一生懸命やってきただけです」と答えが返ってきた。
【関連記事】
- カワサキの新社長「桐野英子氏独占インタビュー」総ページ数「70P」 ワールドジェットスポーツマガジン最新号(2月号)
- 「市場から求められれば、電気のジェットスキーも……」カワサキモータースジャパン・桐野英子社長が語る「水上バイク」とEV化について
- 危険走行で刑務所へ! 明石・泉市長、水上バイク危険運転に「懲役刑」の方針! 全ては市民の命を守るために。
- ジェットスキーのフラッグシップ「Kawasaki ウルトラLX 」とは? 徹底解説! 2022年 カワサキ「ULTRA 310 LX」
- ジェットスキーのフラッグシップ「Kawasaki ウルトラLX 」乗って驚いた!【試乗記】2022年 カワサキ「ULTRA 310 LX」