意外と知らない、「幸福な家庭」と「不幸な家庭」の決定的な違い
わたしたちはいつまで金銭や時間など限りある「価値」を奪い合うのか。ベストセラー『世界は経営でできている』では、気鋭の経営学者が人生にころがる「経営の失敗」をユーモラスに語ります。 【写真】人生で「成功する人」と「失敗する人」の大きな違い ※本記事は岩尾俊兵『世界は経営でできている』から抜粋・編集したものです。 幸福な家庭はどれも似ているが不幸な家庭はそれぞれ不幸だ。 夫婦喧嘩が絶えない、親子関係が良好でない、兄弟同士でいがみ合っているなど家庭内に紛争を引き起こす要因は複数ある。 そもそも家庭内での人間関係は、夫と妻、父と息子、父と娘、母と息子、母と娘、兄と弟、兄と妹、姉と弟、姉と妹……など複線化しているのだから、その数だけ紛争の種があるのは当然だ(祖父母や親戚が入ると、この組み合わせはさらに入り組んでいく)。 冒頭にトルストイを不正確に引用するまでもない。仮に「幸福な家庭」に必要な要件が複数あるとすれば、幸福な家庭はそのすべてを満たす「論理積的家庭」なのだからどれも似たようなものなのは数学的に自明である。 一方で不幸な家庭はこうした条件の一つ以上を満たさないすべての家庭なのだから、これまた当然ながらそれぞれに不幸だというわけである。
夫は判ってくれない:夫婦に母子関係を求める過ち
さらに夫婦間での揉め事ひとつをとってもさまざまな原因がありうる。 たとえば妻は、夫がなぜ中身ちょっと残しのコップをところかまわず置いていくのか、なぜ空き缶が洗面所に放置されているのか、彼の奇妙な行動の数々が理解できない(夫は「昼に何を食べるか」という目下の最重要案件で頭がいっぱいなのだ)。 夫からすると、今まさに片付けようと思っていたコップやゴミに妻がなぜそこまでヒステリックに反応するのか理解できない。そこで夫は妻に「更年期?」などとたずねて喧嘩に発展する。 また、周囲が目を背けるほどのイチャイチャ新婚夫婦であっても(こうした夫婦の目撃談が少ないのは、周囲が目を背けるというまさにその理由のためだ)、夫の「ボディソープきれてるよ(妻の気持ち:気づいたなら自分で補充しろ)」「ごはんまだ? 疲れてるなら、今日はカレーでいいよ(妻の気持ち:今日は風邪気味だっていっただろ、カレーが簡単だと思うならお前が作れ)」などの一言で、妻は愛の夢から覚めたように思う。 こうした夫の失態(夫側はこれのどこが失態か理解できないのだが)の数々はようするに妻に「母の役割」を求めているために引き起こされる。 男は独立するまでは母子関係にどっぷりと依存している。実母を亡くした場合も母代わりの依存対象が存在することがほとんどだ。もとは母親の胎内から生まれたのだから当たり前だろう。 そして、母子関係は基本的に「私の子はいい子」の発想が強く(反対に父子関係は「いい子は私の子」という志向が強い)、子というだけでさまざまに世話を焼いてもらえる。 基本的には子でいること自体が母への価値提供=幸せの源泉になっているため、子は家庭内で顧客満足を求めて問題解決するインセンティブを持つ必要がない。 だが男は結婚を機に依存的な母子関係を断ち切る。 断ち切れない人は「マザコン野郎」などと全女性から断罪/百叩きされる憂き目にあう。このとき依存的な母子関係を断ち切って夫婦関係に注力しようとする真面目な夫ほど、こうして断ち切って/失ってしまった母子関係を妻に求め始める。 そのため彼氏から夫になった瞬間に、まるで母からみた子のように、夫は赤ちゃんぶって自分の存在そのものが妻への価値提供になっていると思いたがるわけだ(配偶者は元は他人なのだから、本当は家庭内顧客として対応すべき相手だ)。 だが、妻からすれば夫の存在そのものは不快の原因にしかなっておらず、その不快を解消すべく恋愛関係のときと同じ程度以上の努力(たまには手紙を書く、花束を贈る、トイレットペーパーを買うなど)を続けて欲しいと思うわけで、ここに対立が生じる。 なお、夫もときどきは家事を「手伝う」。だが、この「手伝う」という発想からして、母子関係における「お手伝い」の延長だ。このとき妻は母と違ってお手伝いレベルの家事ならば二度手間だと怒り/怒鳴り/当たり/殴り散らす。 大体において女性が家事に求めるレベルは一般に男性が求めるそれよりもはるかに高い。ましてや「自立した大人」である夫に求める家事のレベルは恐ろしいことに「外注業者に求めるものと同等以上」である。 反対に夫からすれば、仕事で疲れている身で(一応は、ある程度は、ギリギリ、愛する)妻のためにせっかく掃除したのに、シンデレラの継母よろしく「ここ、汚れたままじゃん!」と埃を見せつけられながら怒鳴られたり、せっかく料理を作ったのに「ちゃんと後片付けしてね!」と冷や水を浴びせかけられたりして、「日本の政治的腐敗を超えるほどのなんたる理不尽! こうなったらクーデターだ!」とばかりにスナックに飲みに出かけるわけだ。 もちろんこれはあくまで一例であり、妻側が夫に母性を求めたり父性を求めたりということもある。 つづく「老後の人生を「成功する人」と「失敗する人」の意外な違い」では、なぜ定年後の人生で「大きな差」が出てしまうのか、なぜ老後の人生を幸せに過ごすには「経営思考」が必要なのか、深く掘り下げる。
岩尾 俊兵(慶應義塾大学商学部准教授)