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西鉄の歴史的惨状/週べ回顧1972年編

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 一昨年、創刊60周年を迎えた『週刊ベースボール』。現在、(平日だけ)1日に1冊ずつバックナンバーを紹介する連載を進行中。いつまで続くかは担当者の健康と気力、さらには読者の皆さんの反応次第。できれば末永くお付き合いいただきたい。 大沢啓二「南海で親分の子分だった日本ハムの親分」

29歳のオールドルーキー

 今回は『1972年1月17日号』。定価は100円。    大沢啓二監督のロッテ。最初に契約を結んだ新人が5位指名の近藤重雄だった。  異色の新人と言われたのは、まず年齢。29歳は当時のドラフト新人最高年齢で、すでに結婚し、娘もいた。  日本コロンビアの選手として1964年、都市対抗の準優勝投手として久慈賞を受賞した近藤。その後、プレーイングコーチにもなり、チームの中心選手としてやっていたが、会社の業績が傾き、野球部の休部が決定。さらに1200人にも及ぶ、希望退職勧告のリストに名前を入れられていたという。  そんな近藤をロッテが指名。 「あのときほどうれしかったことはありません。僕は子どももいたし、生活が心配でたまらなかったんで」  と喜びいっぱいだった。  あらためて西鉄の現状を書いている記事もあった。  71年の成績は、首位・阪急に43.5ゲーム差の最下位。38勝84敗8分だったが、うち巨人から移籍の高橋明が14勝13敗。つまりそれ以外では24勝しかしていないことになる。  規定投球回到達者では、東尾修が8勝16敗(防御率3.75)、河原明が4勝16敗(防御率5.45)だ。登板は高橋43試合、東尾51試合、河原50試合。投手が本当にいなかったのだろう。  ただ、この高橋がヒジ痛を訴えていた。別府の帯刀院長に治療に行くと、「症状はサイちゃんと同じ」。サイちゃんとは、稲尾和久監督。壊れるまで投げまくった人だ。  打線もチーム打率.231、本塁打114本はいずれもリーグワースト。規定打席は東田正義と基満男だけだ。  72年に向け、この打線に加わるのが、ロッテの鬼才・榎本喜八。この榎本に東田、基が平和台球場の入り口で偶然に会った。   2人が、 「いやあ、先輩、よろしく指導してください」  と軽く言うと、 「榎本です。こちらこそ、新入りですから、よろしくお願いします」  と丁寧に一礼。2人はびっくりして、その後、言葉が出なかったという。  では、また月曜日に。 <次回に続く> 写真=BBM

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