政府分科会「尾身会長」傘下の病院、コロナ患者受け入れに消極的 医療逼迫を叫ぶ裏側で
コロナ患者はほとんど受け入れない「開業医」の代弁者たる日本医師会の中川俊男会長(69)。自分の傘下病院ではコロナ患者の受け入れに消極的な「新型コロナウイルス感染症対策分科会」の尾身茂会長(71)。緊急事態宣言を再発令させた二人の、知られざる履歴書。 コロナに罹ったと思ったら「飲んではいけない市販薬」一覧 ***
急激な感染拡大にも怯むことなくコロナ治療の過酷な最前線で奮闘する医療従事者たち。記者会見の場で、 「すでに医療崩壊」 「必要な時に適切な医療を提供できない」 そう危機を煽る日本医師会(日医)の中川俊男会長は、現場の医療従事者たちの思いを代弁しているつもりなのだろうか。しかし、日医の会員の半数を占める開業医はこれまで積極的にコロナ患者を受け入れてきたわけではない。 「日医というのは会員数こそ開業医と勤務医がほぼ同数ずつですが、執行部の大半は開業医ですし、勤務医の意見はなかなか尊重されないのです」 と、医療関係者。 「そして、日医が開業医の既得権益を守っている結果、今、コロナの負担が大病院に集中してしまっている。開業医の中にもコロナ対応を頑張っている病院はあるので一概には言えませんが、現状、軽症でもコロナや発熱患者を受け入れない開業医がほとんどです」 オンライン診療を導入して開業医もコロナ対応に関わるべきではないか、との声に対しては、 「中川さんはオンライン診療について『かかりつけ医を軸にすべき』と言うなど積極的ではない。これも開業医の既得権益を守るためです。自身で『医療崩壊』と言いながら実態がこれですから、大病院は医師会をかなり冷ややかな目で見ています」(同) 中川会長を「医師の代表」ではなく「開業医の代表」と見ると、その言葉の“響き方”も変わってくる、というわけだ。 「中川会長は本来であれば、『医療崩壊の危機だから自粛しましょう』と言うのではなく、『医療崩壊の危機だから開業医もコロナやグレーの患者を受け入れましょう』と表明すべき局面だと思います」 さる病院関係者はそう苦言を呈す。 「でもそれを言うと会員から文句が来るから言わないのでしょうし、後々医療が大変なことになった時に責任を回避するため今のうちに“警鐘”を鳴らしておきたいのでしょう」 記者会見で“民間病院ではコロナ患者の受け入れが少ない”との指摘が出ていることについて聞かれ、 「コロナ患者をみる医療機関と通常の医療機関が役割分担をした結果だ。民間病院は面として地域医療を支えている」 と、苦しい言い訳を展開した中川会長自身も開業医である。 昨年6月の日医会長選挙で横倉義武前会長を破って初当選した中川会長は1951年に北海道旭川市で生まれている。函館ラ・サール高校から札幌医科大学医学部に進み、 〈学生時代、脳神経外科医が登場する米国のテレビドラマ「ベン・ケーシー」を見て、「一般内科や一般外科ではなくスペシャリストの時代が来」』と脳外科を選んだ〉(7月24日付毎日新聞朝刊より) 「新さっぽろ脳神経外科病院」を開設したのは1988年、36歳の時。 〈日本で初めて脳卒中や認知症予防のための検診をする脳ドックを始めた。脳ドックの研究を推進するため、日本脳ドック学会を作った〉(同記事より) 相当なやり手なのである。 開業とともに入会した日医においても当初から目立っていたようで、 「中川会長は日医の若手が集まる委員会の委員長になった時、『日医は若返るべきだ』として『役員70歳定年制』を提言したこともありました。私もその提言書を読みましたが、かなりインパクトがあって驚いた記憶がある。本気で日医の体制を変えたいという思いがあったのでしょう」(日医に詳しいジャーナリストの辰濃哲郎氏) 2010年から10年の長きに亘って中川会長は日医の副会長として横倉前会長を支えてきた。 「横倉前会長が『調整型』なら中川会長は『直球型』。理論家で、歯に衣着せぬ物言いではっきりと自分の意見を言うタイプです。厚労省をはじめとした役人との交渉においても、横倉前会長は落としどころを見つけるやり方でしたが、中川会長は妥協をしない。“まあまあまあ”というのが通用しないのです」(同) 実際、霞が関では、日医のトップに中川会長が就任したことについて怨嗟の声が渦巻いており、 「中川さんは独自の主張をお持ちの方で、自分の意志を曲げないので省庁との衝突は多かった」 と、厚労省関係者。 「中川さんは2年前くらいから『会長になりたい』と周囲に言い、権力志向を隠さなくなっていた。彼が会長になって省庁の人間はみんながっかりしている。能力が高い人というのは皆認めているのですが、とにかく調整ができない。横倉会長時代であれば、副会長だった中川さんと折り合いがつかない時は横倉さんに調整を頼めた。でも今は中川さん自身が会長なので誰も調整することができない」 そんな中川会長は緊急事態宣言の再発令にどう関わったのか。それがよく分かるのが、毎日新聞のネット版の記事である。 〈存在感増す日本医師会長 政府との距離感手探り一転、電話で首相に決断迫る〉(1月9日掲載) 記事では中川会長と菅首相のやり取りが“完全再現”されており、例えば1月2日には電話で次のようなやり取りがあったという。 〈中川氏が「軽症、中等症の患者が半日で亡くなるケースも出てきている。一刻の猶予もありませんよ」と新たな対応を促すと、菅首相は「わかりました」と引き取った〉 中川会長か菅首相本人に聞かないと書けない記事だが……。ちなみにこれは2人の記者の署名記事で、そのうち一人は先に紹介した中川会長の経歴に関する記事を書いた記者だった。