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ポテサラ論争に終止符!? カルディで買える「激ウマ手抜きポテサラ」が作れる秘密兵器とは?

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食楽web

 最近、SNSで巻き起こった「ポテサラ論争」。なんとなく、心がザワつきませんか? ご存知のようにこの「ポテサラ論争」は、あるツイートが発端。スーパーのお惣菜コーナーで、ポテトサラダを買おうとしていた子連れのママが、高齢男性から「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」と言われているのを目撃した人によるツイート。これに対して、高齢男性に対する賛否両論や様々な意見が出てきました。  そこで、普段はあまり意識していなかった「ポテサラ」という料理の存在について、改めて考えさせられた、という人も多いのではないでしょうか?

ポテサラが厄介な本当の理由

 我が家の場合、ポテトサラダは手作りしますが、家族は実はとくにポテサラにさしたる興味を持っていません。同じジャガイモ料理でも“肉じゃが”なら、「おっ」と興味を示して箸を勢いよく伸ばしますが、ポテサラにはその積極性はなく、ただ黙々と食べている。「だったら」と思って、惣菜コーナーで買ったことも何度かありますが、これまた全く興味なし。  ただ、1つだけわかったことは、手作りのポテサラは完食し、惣菜のほうは食べ残しがちということ。つまり、彼らはポテサラの存在自体に期待はしていないけど、手作り感を好む。つまり家庭の味を求めているでは? ということです。

恐怖の「ポテサラ・ジャッジ」とは

 確かにポテサラは“肉じゃが”のようなどっしりした主役級の威厳はなく、あくまでも脇役。控えめな存在ではありますが、例えば外食でも一口食べて好きなタイプの味なら、多くの人は笑顔になります。白くてポテッとしていて自分好み。思わずゾッコン。だから、好みのポテサラを作ってくれる店や人(お母さんやお嫁さん、彼女など)は“いい店”、“いい人”だと判断しがちです。  結論として、ポテサラは存在感がないわりに、作り手にとっては手間暇がかかる料理であり、食べる側にとっては知らず知らずのうちに相手との相性をジャッジできてしまう。だから非常に厄介なのです。大げさですが、考えなしに適当にポテサラに関わると、人間性を完全否定される危険性すら潜んでいる料理と言えなくもないでしょう。

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