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[プレイバック あの人、あの時]問題児のイメージ強かった伊良部秀輝さん…素顔は純粋な野球人だった

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中日スポーツ

誤解を招くことが多かったのは、自分の弱みを見せないようにしたいという気持ちが強すぎた

 記者が思い出の出来事や人物について語る「プレイバック あの人、あの時」。今回は堤誠人記者(51)が、剛腕投手として1990年代から2000年代にかけてロッテや米大リーグ・ヤンキースなど日米で活躍し、42歳で亡くなった伊良部秀輝さんの素顔を振り返る。野球に対するいちずな思いや、純粋だった内面などを表すエピソードを公開する。  1996年1月末。当時ロッテの伊良部さんと電話で話していた時に予想もしない質問を受けた。  「大リーグへ行くためには、やっぱり代理人が必要なんですかねえ」  まだポスティングシステムはなく、FAで海外へ行くこともできない時代だ。その前年に、野茂英雄が史上2人目の日本人大リーガーとして活躍したばかり。日本球界を飛び出した野茂がドジャースに入団できたのは、代理人の団野村さんの手腕だと言われた。私は「本気かもしれないな」と思った。  ただ、シーズン中は親しいチームメートにも大リーグに関する話はしなかったようだ。同期入団で、互いに2年生だった86年夏の甲子園で対戦したこともある大村巌・現DeNA2軍打撃コーチは「シーズン終盤になって、米国へ行くのかなと思うようになった」と話していた。  一般的に、伊良部さんは問題児やトラブルメーカーといったイメージが強かったのかもしれない。しかし、彼の素顔は純粋な野球人だった。  160キロ近い剛球に頼らず、フォークなどを絡めて緩急を生かした。もちろん、勝利を目指すためだ。親しい選手には「160キロは出せるけど、それだけでは打者を仕留められない」と話したこともあったという。当時はあまり注目されていなかったインナーマッスルなど、体のつくりにも興味を持っていた。  誤解を招くことが多かったのは、自分の弱みを見せないようにしたいという気持ちが強すぎたせいかもしれない。  もともと感情の起伏が激しく、93年5月8日のダイエー戦(千葉マリン)で2年ぶりの白星を挙げた時は、感激のあまり涙を流したほど。しかし、先発ローテーションに定着した同年夏以降、マウンドで喜怒哀楽を表すことはほとんどなくなった。これは、90年代に大リーグのツインズなどで活躍したスコット・エリクソンを参考にしたものだ。無表情が売り物だった190センチ、100キロを超える右腕のように威圧感を出そうとする気持ちは、愛車をコルベットから窓にスモークをかけた黒塗りのベンツに変えたことにも表れていた。  特に、ロッテの主力となった94年以降は親しい人以外への警戒心が強くなったように思う。他人との間に壁をつくるなど対人関係が苦手な人は、純粋な人が多いと心理学では考えられている。人を信じやすい半面、裏切られた時の反動は大きい。大村コーチは「彼は体は大きかったけど子どものようにピュアだった」と同い年の元同僚を評している。

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