お見合いは古い? 変わるインドの結婚事情…アカデミー賞インド代表選出『花嫁はどこへ?』監督に聞く
目上の人に物申すことが許されない保守的な家庭
これはインド中の女性が思っていることであるが、目上の人に物申すことが許されない保守的な家庭などもあったりするなかで、かなり痛快な作品となっていた。かと言って、決して古典を否定しているわけではない。格差やジェンダー差別に通じる価値観や概念は今こそ打ち崩すべきだと言っているのだ。 それは極端な例かもしれないが、近年のお見合結婚の描かれ方として、一番多い描き方は、結婚したのちに、互いの価値観や生活の違いに困惑することに直面したり、夫がとんでもないDV夫や殺人鬼だった……など、互いを知らないで結婚すると”こうなるぞ!”という、皮肉的に描かれるパターンだ。 直近の作品で印象的だったのは、アイシュワリヤー・ラジェシュ主演のタミル語映画『DeAr』(2024)である。結婚生活が始まると相手のいびきの大きさが気になって不眠症になってしまうという風刺コメディになっていた。この作品は”いびき”としてコミカルに誇張されているものの、互いを知らないままで結婚すると、そういうことになりかねないという教訓が多く含まれている。結婚相手が入れ替わってしまうという点では、少しテイストしは違うがNetflix映画『わたしたちの愛の距離』(2021)なども今作に近いものがある。 ただ、誤解してはいけないのが、お見合い結婚が完全悪というわけではないということ。それは良くも悪くもインドの文化であるからだ。結局のところ結婚するふたりの問題になってくるのだが、全ての人が自己主張できるわけではない。だったら、周りの人々の価値観や概念を変えていかなければならない。伝統と現代文化のバランスをどうとって、どうアップデートしていくか。それは結婚する当人たちはもちろん、保守的な概念を受け継いできてしまった親世代に与えられた課題である。 今作もお見合い結婚だからこそ、インドの文化だからこそ起きた珍事件を扱ったものとなっているのだが、重要なのは、周りの理解と変化を描いており、2001年という絶妙な時代設定にしている点である。 2000年代初期といえば、まだまだ自立した女性、自立しようとしている女性が色眼鏡で見られていた時代。夫がいない成人女性は家を借りることも、仕事につくこともでないといった概念が当たり前に蔓延っていた時代だ。ところが人間というものは、変化できる生き物である。それは良くも悪くもではあるが、今作においては、良い変化の兆しが随所に描かれている。 もし今作が、舞台と同じように2001年頃に制作されたものだったとしたら、まだ課題が山積みだと思ったかもしれない。しかし現代のインドはどうだろうか。圧倒的に変化している。完全男性社会といわれていた映画界でも当たり前のように女性クリエイターが活躍できる時代となった。文化や風習といった”システム”に支配されるのではなく、感情をもった人間として、どう抗っていくかが重要であり、インドの人々はそれに気づいてきている。 極端な部分を切り取って、”インドは女性蔑視だ”と言うことは簡単なことかもしれない。しかし、それよりも良い部分や変化にもっと目を向けてもらいたい。今作は、そんな変化と兆しを描いた人情劇である。 今作が完全に”昔話”と言える時代になっているだろうか。それはインドの人々にとってもそうだし、他の国も同様である。それを改めて見つめ直す良い機会となることを願っている。