アメトーーク!で注目 高校野球芸人かみじょうたけしの生き方
テニス部やけど、仲間と野球部応援し続けた
高校時代はテニスの練習に明け暮れていたが、高校野球のシーズンになると、もちろん練習はしているが状況は少し違った。「2年の時1つ上の先輩が強豪高と対戦したんです。けど、当時、津名も強かったんで行けると信じてて練習どころやなかったんです」。テニス部の仲間も高校野球が大好き。しかし練習で応援には行けず、結果が気になる。 そんな時、学校の外を歩いていた知人男性を見てひらめいた。「よく野球を観にいっているおっちゃんが通りかかったんで『おっちゃん、帰る時、僕らにも結果教えてや』って頼んだんです」。そして、本来はテニスコートで練習するはずだが、おっちゃんの帰りを待つため、わざわざ裏門に行って壁打ちの練習をひたすら続けた。 「あれはだれが見ても異様な光景やったでしょうね。演劇部の人らがコートの横で大道具作ってて。『コートで練習せえへんの?』って聞かれたら『使ってええでー』と返してましたからね(笑)」。当時は現在のように高校生が携帯電話を持つ時代でもなければ、インターネットも普及していないため、情報を得るために思いつく方法はそれしかなかった。 ひたすら壁打ちで汗を流していると、おっちゃんが帰ってきた。「『おっちゃんどうやった?』って聞いたら『4-3で勝ったで~』と言うてくれたんです。滝二(滝川第二)に勝ったんですよ」。この勝利があまりにもうれしくて練習を終え、みんなで興奮しながら帰ったことも良い思い出と振り返る。
取材帰りの高校野球記者張り込みで情報を得た下宿時代
卒業後も高校野球熱はさらに高まり、京都府内の大学へ入学したのに、下宿先は兵庫県西宮市の甲子園球場近くに決めた。「秋とか冬でも、甲子園球場行って、ツタを触るだけでもうれしかった」と当時を振り返る。大会期間中は、高校野球の特集本2冊を買って観戦し、本はガムテープで止めなければいけないほどボロボロだった。 そして、高校野球の最新情報を知るため、ある行動を思いつき実行に移した。それは、高校野球担当記者の滞在先の張り込みだった。「考えてみたらいちばん情報を知ってる方々ですからね。毎晩マンション前で記者さんを待って、見つけたら『きょうどんな感じでした?』って話を聞いたりしてました」。無論、記者は突然の待ち伏せに警戒し、かみじょうを無視。だが、それにもめげず、毎晩待って話しかけているうちに、記者にも変化が現れた。 「きょうも無視されるんかなぁって思ったら『〇〇監督、いま近くにおるで。あ~僕が言うたって言うたらアカンよ』『〇〇高のあの子、有名選手のいとこって知ってるか。ほら、メモメモ』と心を開いて情報くれたんです」。高校野球の記者が、監督や選手に話を聞くために待つことがあるが、その人たちの帰りを待つということも、甲子園近くに住んでいたからこそできること。 その年は、充実した気持ちで大会をみることができた。しかし、後年、単位取得が厳しくなったため、京都府内の学校近くに下宿先を変えたが、大会期間中だけは毎日のように地方大会の予選や甲子園に通いつめた。