爆発的なヒットとなった初代タクトを経て、新たな可能性を模索──主張が強い6台のホンダ製スクーター【ライター中村友彦の旧車雑感 Vol.10】
ホンダ「ビート」といえばバイク乗り的にはこっち?
1980年に発売した初代タクトで、ホンダはスクーターの基盤を確立した。もっとも当時の同社はその状況に満足することなく、以後は斬新な機構のモデルを次々と市場に投入。当記事ではその中から、2023年夏の取材時にモビリティリゾートもてぎ内のホンダコレクションホールに展示されていた、6台のスクーターを紹介しよう。 【写真】主張しまくりのホンダ製スクーター6車を見る!
スペイシー50[1982]
面を強調しながら真横から見た際に三角形を描く未来的なフォルムや、フロントに備わる施錠式のトランク、上級仕様のカスタムが導入したデジタル式速度計やコムキャストホイールなど、1982年5月から発売が始まったスペイシー50は、既存のスクーターとは一線を画するデザインと機構を採用していた。とはいえ、このモデルで最も注目するべき要素はパワーユニットだ。ホンダ自身のタクトやリードを含めて、当時のスクーターは2ストが主流だったものの、スペイシーはスーパーカブ系のエコノパワーエンジンで培った技術を転用した4スト単気筒を搭載していたのだから。なおスペイシー50の110km/ℓという公称定地燃費は、当時の50ccスクーターの基準を大幅に上回っていた(タクトやリードは75km/ℓ)。 そんなスペイシーには、1982年10月に排気量拡大仕様となる80、1983年3月に全面新設計の125が加わったものの、価格が2スト勢より高価な一方で、加速が2スト勢に及ばなかったためか、50と80の販売は1986年で終了。ただし125は、数多くの仕様変更を受けながら、2000年代中盤まで販売が続くロングセラー車になった。
リード125[1982]
主婦層を中心とする女性を多分に意識していた既存のスクーターやファミリーバイクとは異なり、1982年2月から発売が始まったリードは男性を主なターゲットに設定。当時はヤマハとスズキも同様のスクーターを販売し、各メーカーはカタログに著名な男性を起用していた(リードはプロテニスプレイヤーのビヨン・ボルグ、ヤマハ・ベルーガはジャズ界で名を馳せた渡辺貞夫とデイブ・グルーシン、スズキ・ジェンマはマカロニウェスタンのトップスターとして活躍していたジュリアーノ・ジェンマ)。 なおデビュー時は50/80の2機種だったリードだが、1982年10月からは125を加えた3機種態勢を構築。とはいえ、4ストのスペイシー125の性能に自信を持っていたホンダは、“今後の125ccスクーターは4ストで行く”という判断を下したようで、2ストのリード125はわずか1年で販売が終了した。
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