「スライダーは岩瀬より上」 巨人に「テスト入団」で大ブレークした左腕とは
育成選手からはい上がる
この左腕が巨人に入団していなければ、プロ野球の歴史は変わっていたかもしれない。過大評価でなく、それほど貢献度が高かったのが元巨人の山口鉄也だ。 NPB最多タイ記録となる最優秀中継ぎ投手を3回獲得。2014年にはNPB史上初となる200ホールドを成し遂げた。ライバル球団の中日で投手コーチ、監督を務めた森繁和は「右打者の内角に食い込むスライダーは、岩瀬仁紀より上」と週刊ベースボールのインタビューで絶賛していた。そんな左腕は決してエリートではない。プロに入団すること自体が「奇跡」だった。 横浜市出身の山口は横浜商で3年夏にベスト8に進出。好投手だったが、プロから注目されるほどの力はなかった。高校卒業後はダイヤモンドバックス入団テストに合格してマイナー契約を結んだが、4年間で1Aにも昇格できなかったため帰国する。知人の紹介で横浜(現DeNA)の編成担当だった亀井進に出会い、05年に横浜の入団テストを受けるが不合格に。ただ、亀井は山口の才能に光るものを感じたのだろう。楽天と巨人の入団を受けるように勧める。楽天も不合格だったが、最後に受けた巨人が合格。ここからサクセスストーリーが始まった。 06年育成ドラフト1位で巨人に入団。1年目にファームで防御率1.61をマークし、フォームをマイナーチェンジして投げ込みすると球速が常時140キロ台後半出るようになった。07年に支配下昇格すると、5月9日の阪神戦(甲子園)で初白星を飾るなど32試合に登板した。
セットアッパーとしての地位を確立したのが08年だった。67試合に登板して11勝2敗23ホールド、防御率2.32で育成出身では初の新人王を獲得。13ゲーム差からの逆転優勝に貢献した。中日とのクライマックスシリーズ第3戦では3イニングを投げ、日本シリーズでも3試合登板とフル回転した。 左腕の出どころが見にくい投球フォームから150キロ近い直球とカットボール、スライダー、ツーシーム、チェンジアップのコンビネーションで制球も安定していた。一番の武器は故障せずに投げ続ける強靭な肉体とメンタルだった。09年は春先にWBCに選出されて救援で2連覇に貢献。シーズンに入ると球団記録を更新するチーム最多の73試合に登板し、9勝1敗4セーブ35ホールド、防御率1.27で最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した。進化は止まらない。12年はリーグトップの72試合に登板し、3勝2敗5セーブ44ホールド、防御率0.84。驚異的な安定感で2度目の最優秀中継ぎ投手を受賞した。 14年にプロ野球史上初の偉業となる通算200ホールドを達成。08年から16年までの9年連続60試合登板のプロ野球記録を樹立した。年俸は入団時の240万円から133倍の3億2000万円に。普段はスポットライトを浴びない縁の下の力持ちだが、その貢献度は計り知れない。08年からの9年間でチームは5度のリーグ優勝、2度の日本一に輝いた。