賃貸物件「LGBT不可」…谷口真由美がラジオで「誰が相手でも理解を」訴え
差別というのは、そんなつもりがあった、そんなつもりがなかったとか関係ないんですよ。あろうがなかろうが差別なんですね。通りすがりに刺されたけど、「そんな意図はなかった」って言われたって、傷害罪になりますよね。「LGBT不可」と差別を受けた人間からすると、心の問題で言うと通りすがりの人に刺されるようなものですよね。 体が傷つけられたら伝わるのかもしれないけれども、精神的に傷つけられるということは人になかなか伝わらないものだし、もしかすると「LGBTQ」などをまだ隠している状況の方が沢山いるかもしれないという想像力が圧倒的に欠如している状態なんですよね。 ■隣にいる人のことをちゃんと理解するのは、誰が相手であっても当たり前の話 最近こんな話をすると、「いやいや、性的少数者や少数者に配慮しすぎる社会なんて生きづらい」みたいなことをドヤ顔で言う方がいます。自分として生きていることを全否定する言い方って少数者だから配慮するとか、多数者だから配慮しなくていいという少数者多数者の問題じゃないですよね。自分が生きているということに対して、皆にちゃんと自分であるという認識をしてもらいたいという当たり前の話なのに、これがまだ当たり前じゃない。 「LGBT理解増進法」という法律が去年できました。私はこの名称もすごく問題があると思っていて、今はもう、多数者が理解をしなきゃいけない、それを増進しなきゃいけないという段階ではなくて「差別しちゃ駄目です」という問題なんですよね。 多数者の側が理解するかしないかで、傷つけられて良いとか、差別されて良いとかそういう問題では全くなく、やっぱり変わらなきゃいけないのは多数者側なんですよね。少数者の人が「私達のことを理解してほしい」と言ったら、私達がそれを受け取って「ほな理解したるわ」みたいな上から目線の話じゃなくて、そこに存在し、私達と同じ社会・コミュニティの中にいて、当たり前に隣にいる人のことをちゃんと理解するということは、誰が相手であっても当たり前の話だということをまず理解しなきゃいけません。
企業で働く方も、学校生活を送られる方も、コミュニティで生きられている方も、隣の人がどういう属性であったとしても、人として扱うというこの人権の問題を考えていただけたらなと思います。
RKB毎日放送