宇野重規が、東浩紀の挑戦に見出した意義「当初の狙いとは異なる人や場所へ」
『民主主義とは何か』などの著書のある宇野重規氏(東京大学教授)は、新たな思想の拠点をつくりあげようとする東浩紀氏をどう分析するのか。東氏の10年間の挑戦を綴った『ゲンロン戦記』から読み解くとーー 【動画】東浩紀が赤裸々に綴る「失敗だらけの10年」 * * * * * * * ◆ルソーの現代性を鮮やかに浮かび上がらせた はじめに書いておくが、筆者は東浩紀さんと親しいわけではない。たしかに東さんが運営するゲンロンカフェに参加したことはある。そのトークイベントの一部が、東さんの『一般意志2.0』の文庫版に収録されてもいる。スタジオを探せば、どこかに筆者のサインが残っているはずだ。とはいえ、東さんとちゃんと話したのはそれきりであり、その後は会う機会もない(お誘いは受けたが、こちらの事情で実現していない)。 ときどきTwitterで見る限り、必ずしも政治的意見が一致するわけでもない。というよりも、正面からぶつかることの方が多いかもしれない(上記のイベントでも、二人の違いが明らかになっている)。にもかかわらず、東さんは筆者にとって、いつも気になる存在である。『一般意志2.0』も、連載の初回を読んだときにガツンと受けた衝撃は忘れられない。筆者と東さんのルソー解釈は同じでないが、ルソーの現代性をここまで鮮やかに浮かび上がらせたかと圧倒されたことは間違いない。 その東さんの近刊『ゲンロン戦記』を読んだ(以下、東さんを著者と呼ぶ)。著者が創業した株式会社ゲンロンの凄まじい記録である。普通、この種の本は、いろいろ困難はあったけど、最後は「めでたしめでたし」で終わることが多い。ところが、本書で繰り返し述べられるのは、著者が信じる人々に裏切られ、あるいは去っていかれる話の数々である。最後はやや状況が好転したかと思えるのだが、「あとがき」でさらに衝撃的な事件が加わる。
◆著者の思想の中核にあるのは ただし、本書の読後感は必ずしも悪くない。著者がそれらの人々を非難するのではなく、むしろ自らの弱さや愚かさとして受け止めているからだ。信頼した人に裏切られた後、放置された領収書を一つひとつ整理し、棚を買って整理し、あらためて事務の重要性をしみじみ語るくだりは感動的でさえある。 本書が「オルタナティブな言論空間を自主的に組織すべく、奮闘した現代思想家の感動的手記!」というありがちな話と区別されるのは、このあたりのリアリティにあるのだろう。本書にはあくまで、五反田の雑居ビルで零細企業を経営する(今は経営から離れたが)人間の実感のようなものが感じられる。大学という組織の内部にとどまる研究者や、自らの発言や文章を既成のメディアで発信する批評家なら、けっしてこのような事業に手をつけないはずだ。が、そこにこそ著者の強さがある。 しかし、本書に意義があるとすれば、やはり著者の思想性、批評性に見出すべきであろう。著者の思想の中核にあるのは「誤配」である。情報やメッセージが、当初のねらいや意図とは異なる人や場所へと配達されてしまうこと、そこに著者は知の意味を見出す。窮地に陥った著者を救ったのも、ゲンロンカフェが思いがけず成功し、そこに意外な人々が集まったからだ。最初は著者のファンだけであった「観客」は、やがて意外な人々へと拡大していく。 筆者にも経験があるのだが、ゲンロンカフェのトークイベントには、台本のようなものはない。話はあちこちにそれ、蛇行し、やがて何の話をしているのかわからなくなる。筆者が登場したときなど、途中でワインを飲み過ぎた著者がいなくなり、しょうがないので来ていたお客さんと話して間を繋いだことがある。何を話したかはおぼえていないが、楽しかった記憶だけ残っている。これも意図せざる(あるいはそれが著者の半ば意図だったのかもしれない)「誤配」だったのだろう。