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荒川が流れてないのになぜか「荒川区」――東京「名実不一致」問題にズバッと切り込む

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アーバン ライフ メトロ

江戸時代から続く長き水害との闘い

 東京のあちこちにある、「○○(地名)なのに、○○にない問題」。東京ディズニーランドは千葉県。品川駅は港区。目黒駅は品川区など……。 【画像】最長で約300kmも(!)離れている「名実不一致」事例をチェック(6選)  いくつも思いついてしまう地名と、実際の所在地がズレている問題。とりわけマンションや商業施設になると、イメージのよい地名を使ったり名の通った駅名を掲げたりしているので「ここが○○(地名)だって?」と首をかしげてしまうことも。  そんな東京の所在地で、ぜひ知っておいてほしいことがあります。それは、「荒川区に荒川が流れていない」問題です。  この問題、ちょっと東京に詳しい人なら知っているかもしれません。  そう、「荒川が隅田川になったんだよね」。 ……でも、そこに至る「水との闘い」を語ることができてこそ、アーバンな東京人。今回は、その話題です。

全く異なる流れだった江戸期の荒川

 徳川家康が江戸に入る以前、荒川の流れは今とはまったく異なるものでした。  埼玉県・山梨県・長野県の3県が接する甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)を源流に流れる荒川は、現在の埼玉県越谷市・吉川市付近で利根川に合流し、東京湾(当時は江戸湾)へと注いでいました。

利根川を東へ、荒川を西への大工事

 江戸に入った家康は、この利根川の河川改修工事を始めます。改修とはいいますが、東京湾に注いでいる利根川の流れを、銚子(ちょうし)方面から太平洋へ注ぐように付け替える大工事です。  この工事の目的はいくつもありました。まずは江戸の町を水害から守ることです。同時に、河川を整理することで水運を利用した交易路を確保することもありました。  さらに、新田開発や江戸城の北の防備を固める意味もあります。いずれにしても、江戸の町を安定して発展させるためには欠かせない工事だったのです。  この工事を命じられたのが関東郡代(ぐんだい)の伊奈忠次(いな ただつぐ)でした。以降、忠治、忠克と、伊奈氏は3代にわたって利根川の流れを変えるための工事を続けます。  一方では川を締め切り、他方では河道を開削して水を流す大工事です。「利根川東遷事業」は1655年(明暦元、承応4)にいったんは完成し、利根川は東京湾から離れました。  この工事によって、荒川は熊谷付近から南へ向かい途中で和田吉野川・入間川と合流して現在の隅田川のルートで東京湾に注ぐようになります。  ここでまた、ややこしいことがあります。  このルートはもともとは入間川が東京湾に注ぐ河道だったのです。それが、入間川が荒川に合流するように変更されたわけです。これによって当時の荒川 = 墨田川となったわけですが、ここにもちょっと複雑な話があるのです。

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