81歳・現役医師が体験した激動の時代。「アルバイトで子守代を捻出したことも…」
なんとか得たアルバイト代で、子どもの世話を依頼
――医師としての仕事に、子育て。多忙を極めるなかで、3人のお子さんの子育てはどうされていたのでしょう? 天野:本当にがむしゃらに働いていました。41歳まで無給の医局員だったので、週に1日半アルバイトをしてなんとか収入を得て、朝8時から私が帰宅する夜9時までお手伝いさんに子どもたちの世話をお願いしていました。ときには授業参観や運動会といったことをお願いしたこともあります。 子どもたちはとくに気にしていなかったようですが、深層心理ではなにも感じていなかったわけではないと思います。というのも、二女が描いた絵に、だれも人物が描かれておらず、そのタイトルが『たずねていったけどだれもいなかった』と書かれていたことにはドキリとしました。 親としてやったのは、進路など大きなことを決めるときに手伝ったり、相談にのったりすることです。最近テレビの取材があった際に、娘に「お母さんがしてくれたことで印象に残っていることは?」と尋ねたところ、「放っておいてくれたのがいちばんありがたかった」と言っていましたから、まあそれでよかったのかな、と今は思っています。 ――現在、お子さんたちはご結婚され独立されています。ひとり暮らしですが、困難なことはありませんか? 天野:私は、歳を取ったら子どもを巻き込んで世話にならないようにするのが、親の役目だという風に思います。どの年代であっても、自分のことは自分で責任をもつこと。 自分の主治医は「自分」。自分の体にいつも問いかけながら、「無理していないか」「自分は満足しているか」「休んだ方がいいときはないか」と考えなければならない。それこそ今、女性の平均寿命が87歳ですから、そこまで健康で生きるために自分で工夫して体調を管理する必要がありますね。
ESSEonline編集部